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心を込めると、世界が変わる

「心を込めると、世界が変わる 」

これまでファシリテーター養成セミナーに9年関わり、自分も学びをいただくと共に、
私は傾聴法、マインドフルネス、内省法、アクティブリスニング、ディープリスニングを担当させていただきました。
ファシリテーターとは直訳すると「容易にすること、簡易化、助成、助長」を意味し、引き出し役とも言われます。具体的には、会議やワークショップ(体験型講座)、また対立・敵対する関係者の間に立ち、中立的な立場で相互の対話を促進して相互理解や合意形成をサポート、またデザインします。
振り返り思うのは、このセミナーに限らず、人間が生きることは「自分のことをどれだけ知っているか、理解しているのか」に尽きるということ。例えば、自分はこんなことに腹が立つのだなぁ。そしてこれは自分の人生体験のなかであのできごとに由来しているな。自分はいつもこういった時につらく悲しくなるなぁ。これは自分のこの思いに由来しているな。
とか、自分特有の心の反応、考え方の癖によくよく向き合うことが大切です。
「受け入れる前に、受け止めましょう。」
お寺では最近、この言葉がよく飛び交っているように思います。
自分自身、また他者の言動、受け入れがたいものがたくさんあるものです。
ただ、受け入れるのは難しくとも、受け止めるところから始めなければ、事態は何一つ変わらないものです。自分自身の言動、癖に対しても同じです。
お祈りの冒頭に三度のお辞儀をしますね。
慚愧懺悔(ざんぎさんげ)と声にしながらも、見て見ぬふりに終わるのではなく、心を落ち着かせて己の心を手に取るくらいの余白、余裕を持つと良いでしょう。

自分をしあわせにしたいはずなのに、実際の行動は自分を傷付けるものであっては悲しいことです。人間は満たされたい、認めてほしい、安心したい、何かが足らない、そういった欲求を根底に持っています。これが、お腹が空いて死んでしまいそうだから、食べ物を口に入れなければならないというような危機的状況とは違うのに、
過度に「欲しい!」「足らない!」「どうして!」と心が外に叫んでいるのならば、
それこそあなたは三日、一日でも良いから、仏道修行に入るのが善いと思います。
また体が反応することならば食生活から見直した方が良いでしょう。思いは体から生まれます。食べ物、食べ方を整えることは精神性を調えることに直結します。
貪(むさぼ)るのではなく、頂戴する。
この所作、精神を覚えるだけで、あなたは人間らしくなります。
道具の扱い、言葉の扱い、ちょっとした所作を調えることで、行動から精神を変容させていきます。そして行動が変わると気付きが増えます。気付きが増えると、あなたの心は豊かになっていきます。

経典には、貧苦(ひんく)という言葉がよく記されています。ご承知の通り、貧しくて苦しい状況は豊かさの対岸にあるものですが、ただこの豊かさとは持っている、持っていないという、どちらかの問題ではなく、むしろそのどちらかに傾倒している状態によって貧苦に陥っていることがしばしばあります。
たとえば、半分の水が入っているコップを見て、ある人は「もう半分しかない」と思い、ある人は「まだ半分もある」と思います。水の量は同じです。しかし、その人の心の在り方によって、見え方は変わります。貧苦とは、ただ「ある」「ない」だけの問題ではないのです。さらに、この「ある、ない」も状況によって意味が反転するから厄介なものです。
また、自分は10だと思っているのに他人から見ればそれは1だと言われたり、自分は0だと思っていたのに、それは10だと言われたり。そのような経験がありませんか?
人間は自分の主観で生きています。その見方に固執することで苦しみは生まれます。
清らかな水さえも、留まれば腐るのだから、人間も同じです。
お寺の滝修行に参加することや、水に入らなくとも「水に学ぶ、山に学ぶ、自然に学ぶ」ことはできます。お祈りとともに、学びを頂戴する姿勢を忘れないようにいたしましょう。

ところで私は、おいしい野菜を食べた時など特に、農家さんのお気持ちを感じます。思いが体中に行き渡るのを感じるような心地になります。それは、農家さんが食べる人に対しておいしく食べてもらいたい、喜んでもらいたいという真心を持っていらっしゃるからでしょう。気持ちが野菜に映し出されています。土を作り、種を育て、野菜とともに日々を過ごした物語を感じます。丹誠を込めて作られたもの。職人さんが魂を入れたもの。
これらには相手に喜んでほしいという意気込み、情熱、本気が宿っています。
人は文字や言葉、音や形から影響を受けますが、実はそれだけではなく、目には見えない思い、聞こえない声、気配、所作の奥にある真心からも、私たちは何かを受け取っているのです。人間から発する気も、秘めた思いも、押さえ込んだ気持ちも同じですし、心のありようが知らずと顔にも行動にも出るものです。
「いまだけ、金だけ、自分だけ。」
そういった態度から生まれたものは心がともなっていないので、響いてくるものがありません。中身がないというのはつまり「心がない」ことを言うのです。
セミナーでも、「心と知と体の三つに触れること」、
つまり人のいとなみの物語に触れて感情と感性を養うこと、文字や言葉から構造的に知識として学ぶこと、実際に行動に移して体で体験することを重視していました。
この三つは互いに影響を与え、成長と行動を促進します。
密教では身口意を一致させますが、それに似ています。

心を込めましょう。
お茶を一杯淹れるのも、心があると味が変わります。

あなたは今日、何色で過ごしますか?

令和八年五月二十一日

毎週日曜 朝6時「勤行・お茶」。
第二日曜日は福山霊苑。

29日(金)から翌早朝まで「伝法潅頂」執行のため、本堂内への参拝はできません。
27日(水)「夏の荒神供」20時~
31日(日)「ご来迎を拝する石鎚 瓶ヶ森修行」
参加申込はこちらのURLか、お寺へ直接ご連絡ください
3日(水)「毘沙門天護摩」朝6時
7日(日)「滝修行」朝5時出発 6時現地
「水子供養/地蔵護摩」10時~
「放生会」 13時~
21日(日)「大師御縁日 護摩」10時のみ
24日(水)「弁財天 護摩」20時

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