「無縁に一輪の花を」
今日は春のお彼岸、春分です。皆さんはお墓に参って自分のご先祖さまに対して手を合わせていらっしゃることでしょう。またお墓には無縁仏さまがだいたい祀られているもので、供養をしてくれるような子孫もいなくなったお墓が墓地の一角にある。
心のある方はそっとお線香の一本、お花の一本でも手向けていらっしゃることでしょう。
このような心を大切にしていただきたいと思います。
もともと佛教用語としての無縁の意味は、仏さま・お経と縁のある者を有縁、縁の無いものを無縁と呼びました。たとえば「無縁の衆生は度し難し」と、
「過去世にも仏法に縁の無いような、生きとし生ける者(衆生)は、仏さまでも救う(度す)のが難しいものだ」というような話のなかに「無縁」を使います。
つまり私たちが日常生活に使っている「無縁」という語は「無関係」の意味で使っていると思いますが、
よーーーく考えると、
この世に生きる上で「無関係な人・もの」って有り得るでしょうか。
科学で言えばカオス理論、バタフライ効果といって、地球の裏側の(日本の反対側は大西洋の海の上で、一番近い国はウルグアイですが…)蝶の羽のひとゆらぎが、いずれ日本に台風を起こすというような原理で、この世のすべての事柄は何かしらつながり、関係性を持っていると説明します。実際はこの世に生きる限り、みな何かの「縁」で関係し合っているものです。
では先程の「仏法に縁が無い人」というのもあり得ないのでは?と考えた方もいらっしゃることでしょうが、これはあなたの耳で直接に聴き、あなたの目で直接に見たことも無いような人を指しています。
「弱者をつくって搾取するな」
密教の世界観を、何か俗世間の、違う分野でも説明する時に、どうお伝えすれば分かりやすいものかと最近よく悩むのですが、
「密教の世界観の特徴は曼荼羅で、これはつまり、
生きることは総力戦と教えてくれているんですよ」とお伝えしています。
胎蔵界のマンダラは
実にこの世のすべてを包み込み(つながっており)、佛の慈悲で説明しようとしています。
金剛界のマンダラは
実にあなたの本来の尊さを、佛の智慧でどうにか証明させようとしています。
誰一人として、欠けることなくして、この世は成り立っている。
曼荼羅はそれを教えてくれているのです。
ですから、より善く、みんなで生きようと考えるのは、仏さまの願いや教えに従って生きているのと同じです。ウクライナの人も、ロシアの人も、これ以上亡くなられることが無いように祈りましょう。ミャンマーも…。日本の身近なことも忘れず。できる行動があれば行いましょう。
仏教でいう無明、現代世界の根本問題は金融システムでしょう。
そこから「健全な成長のし合い・助け合い」ではなく、やはり不健全な競争関係が起こり、悪知恵の働く者が、対外に経済的「優位を取るため」、「恣意にまず内側に弱者を作り、また外側に弱者を作り」、搾取するか、搾取されるかの構造を作っています。
「苛めるな。助け合え。殺すな。奪うな。」
こう叫びたい。お金が健全に人を救うものとなるように、経世済民の経済、倫理と哲学が人のみならず、マネーにも付与されることを願っています。さきほどの叫びは十善戒の不殺生、不偸盗や不妄語、不両舌などの口が関わってくるでしょう。弱者を作り、いじめてはいけない。
さて、常日頃から密教の僧侶はインフルエンザやコロナウィルスを流行神と呼び、またインド古来の神々、大陸の神、道教の神、日本の神、更に地球上に限らず、宇宙の星、天の神も、過去に亡くなった霊魂(鬼神)も、加えて現在、未来、合わせて三世すべての命も供養します。
国が混沌とする時には、決まって鬼神が蔓延っているもので、
こういう時は更に一層の供養の気持ちを起こして、
諸仏菩薩にお経や真言を唱え、供えて、過ごしていただきたいと思います。
ちょっと祈ったくらいでは、すぐに状況も変わらないものかもしれません。
それでも止めてしまったら、私たちは大切なことを必ず忘れる。この状況も習慣化されれば、当たり前、と慣れてしまうのです。このままではいけない。そう思って、自分にできることを小さくとも、続けることが大切なのです。私はウクライナ、ロシアの国の神や鬼神も供養します。
あなたは何をしますか?
令和四年三月二十一日
《ご修行案内》
27日(日)「得度式」 10時
4月3日(日)「滝修行」 5時30分お寺出発
「水子供養・地蔵護摩」 10時
21日(木)「お大師さま御縁日。お護摩。」
①10時 ②20時 どちらかにお詣りください
写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。