平成三十年戊戌 本年も宜しくお願い致します。
今年は3月3日「焼八千枚護摩」( しょうはっせんまいごま )という修行に副住職の泰教が望みます。住職と共になり深い祈りをして参拝、またご相談に来られます方々が、心から救われますようにお大師さまのお力、お陰が皆様に届きますよう一層の精進修行をしていく所存でございます。
修行は節分が終わって2月5日より始まります。
毎日朝5時半頃から護摩を焚きますので、修行と思って是非お参り下さい。
自分の業(悪い癖・荷物・黒いモヤモヤしたもの)を燃やし尽くし、良い習慣に体も心も致しましょう。
心を浄め、感謝に生き、己の徳を高めるお寺として
お大師さまを益々信仰して頂きたく存じます。
また寺の貼紙やホームページにて随時お知らせ致しますので
お祈り日時ご確認の上お参り下さい。
「永遠の愛情を感じた話」
50代の姉妹。
母親は亡くなり、父親はいい年齢になってきた。
普段の父親は思いやりがあり、般若心経のお写経も毎日書く。
最後の「為~」という祈願の所では、子から孫までそれぞれの名前を書き、
○○が健康であります、
□□が学校で勉強ができます、
△△に良縁があります、と思いをしたためる。
~ありますように、と書くのでは無く、断定や完了形にして、
~です、~になりました、と書くのは願うことが未来にそうなるのを
またはそうなるだろうことを消極的に待つ姿勢で臨むのではない。
既に思い描くことが願った形になっていますと喜んで
また心に刻むようにして積極的な姿勢で文字にも言葉にもするのです。
ここまで聞けば、なんて良い父親なんだろうと思うのだが
しかし、実は急に怒り出すという気性。
そうなるとまったく手が付けられない。遂には古い刀まで抜き出す始末。
そのような父親である。母親は当然の如くいつも殴られていた。
早く離婚すればいいのにと誰もが思っていたし、娘たちもそう望んでいた。
しかし何故か離婚しない。
そしてそんな家庭環境でありながら、実に素直に育った姉妹を目の前に聞いてみた。
「失礼ですけれども、何故そのような家庭環境にあったのに、
他の兄弟も含めてそんなに人を思いやれるように育ったんですか?
素直であるし。お母さんがよほど素晴らしかったのですか?」
そうするとこう返事をされる。
「そうです。母親は素晴らしい人でした。
一切怒らない。すべて受け止めるような人でした。」
「すばらしい。そうなのですね・・・。
ならばやっぱりまたそのお母さんのお母さんや、
ご両親も素晴らしい人格者であったのですか?」
「母はいつも大先生(前住職の宥善)に相談をしていました。
そして人は生まれ変わり生まれ変わりをしている。
あなたが主人のような前世をしていたこともあったはず。
何よりも今あなたがそこにいるのは意味があってのこと。
必ずお役目があるからそこの家にいるのです。
など色々な話を聞いていたようです。
・・・母は何かあの世で言っていますか?
今、私は父親に会うのが怖くて親不孝をしています。
でもまたそれも辛いのです。」
「無理はしなくて良いと思います。
また辛いと思うのは親を思う気持ちがあってのこと。
あなたはとても優しい方です・・・。」と応えながら、
いつもは聞こえない言葉が頭の意識に届いてきます。
その内容はこういったものでした。
「あなたは無理をしなくていい。
またお父さんがどのような結末に(死に方、今後の人生に)なったとしてもいい。
大丈夫です。
なぜなら死んだ後は私がお父さんのことを受け止めるから。
最終的には納まるようになるのだから、どのようにでもなるのです。」
私はこの言葉に衝撃を受けました。
死んだら終わりだからどうでもいいだとか、面倒だから離婚するとか、
その場その場だけの考えだけで
自分都合に勝手な人が増えている昨今になんてことだろう。
すべてを受け止めて人生を過ごして
なお死後の世界においてもずっと家族に愛情を注ぎ続けている。
死んだら終わり、ではない。
本当の愛情と思いやりを持ったお母さんの魂。
真の慈しみを 人生で体現されたからこそ、
死後の世界にあってもそのような精神エネルギーでずっといるわけである。
このような人間でありたいなと思いました。
このお母さんのように愛情深い人生を送りたいものです。
またこのお父さんも困った人なのですが、
それでも毎日お写経を書いては「慚愧懺悔」と文字にもして、
自分の罪を懺悔し、反省しては家族や周りの幸せを
そのようになりますと祈り続けて日々を過ごしているのです。
なかなか出来ることではありません。
ある人は、そんなにやっているのに現実はこれか、
と悪口を言う人があるかもしれませんが、そうではないでしょう。
その祈りが無かったらどうなっているかも分からないものです。
また人間の美しいありように心を向け、祈り続けられる事実も凄いことなのです。
仏さまの心を体現したかのようなお母さんの魂を見習いたいと思います。
与える布施と慈悲の心。
また心を浄め、日々祈りをされるお父さんの力を見習いたいと思います。
続ける力、精進の修行力。
お経の文句に「生死を越えて」、「生死の海を渡る」とあるのですが、
この世とあの世を超えて慈しみ、愛情の力を働かせている素晴らしさ。
力強さ、美しさを学んだ、胸に深く刻んだ出来事でありました。
生と死を超えて、限りなく永遠に近い、
慈しみと愛情の心をこの人生で育みます。
日切大師弘元寺 平成三十年一月廿一日
《焼八千枚護摩の前行》
2月5日より 毎朝5時半頃から護摩修行を致します
・どなたでも修行にお参り下さい。
・2月24日から無言行です。
・ぜひ、善い仏縁を結んで下さい。