法話

台風のなかの柴燈護摩で。

 28日(土)19時より「大祈祷会」が行われ、ロウソクの光に包まれる中、声を励ます行者たちが一心に祈り、お堂の中は仏さまの力と御真言で包まれた。毎朝5時より、一週間修行された祈祷会の総決算となる一座は即ち神仏の言葉ならぬ力の働いていることを肌身で感じさせられるものでありました。心を一つのものに向けることを禅定というが、日常生活の中では皆違うことを考えているもの。ただし大祈祷会の空間では参拝者の心が一つとなる。この心地よさ、祈祷の雰囲気は言葉では言い現せられぬもの。寺に参らなければ体験できない摩訶不思議な時間が過ぎていきました。

 29日(日)台風の直撃により午前中は時折強い雨が降り、それに従い午前と午後の予定を変え、今年は「お受戒・法話」より始まり副住職による受戒、本山管長、出仕の僧侶方々から法話をいただきました。

参詣者の方は、
「本当に感激した。普段聞くことのないお話や、祈りとは何か、また火渡りや護摩とは何なのかという話がとても為になりました。このような経験は今までにありません。また聞きたい。」とお話されていました。

 さて、いよいよ法話が終わり、「お施餓鬼」を修しますと、不思議なことに雨も上がり、天気予報ではその後も雨が降ると予報していましたが、お陰さまで雨の一滴も降ること無く「柴灯護摩」の修行ができました。とても有り難く、これはお寺の鎮守さまである石鎚大権現、八大龍王さまをよくよく拝んできました、そのお力がそのまま現れたように感じるものでした。

 例年のごとく「湯加持」も執り行われ、それはそれは神秘的なものであり、修行する行者に、神仏が舞い降りたかのように見えるものでありました。両手に束ねた竹笹で湯が舞い上がる光景が瞼に残ります。

 「火渡り修行(火生三昧)」を初めて目にされた方は、行者の真剣な祈りに心にぎゅっとくるものがあった、大丈夫かなと不安になった、仏さまの力とはこういうものか、不思議なものだと思った、など様々声がありました。祈りの場(火渡りで歩く場所)に裸足で歩いて、仏さまのお祈りにそのまま飛び込むような体験をさせていただきましたという言葉には私や行者の心も洗われました。お陰様でした。

 最後に去年のお札やお守りをおはやしする「お焚き上げ」を修行。お客様が来られたら、お帰りの際には最後までお見送りするのが大切なように、お世話になったお札やお守りにしっかりと最後の御礼をすることは大切です。また今年のお守りやお札を来年まで大切にお持ちください。

 お寺に詣りすることが叶わず、護摩木、供養の塔婆を預けられました皆さまへ。行者が一枚一枚よくよくお祈り致しました。お陰がしっかりとそちらに届いていますか?
 またこの度は愛染明王さまの御真言を皆様に一ヶ月の間、唱えて頂きました。その数は総じて十八万二千遍。この皆さまに唱えて頂いた御真言の数がまた台風の雨も調え、柴灯護摩の大きな祈りになったように思います。

 今年もあと少し、さることながら自分の人生の時間も刻一刻と残りの時間を刻んでいるのが現実です。昨日まで許せなかったものはお大師さまと一緒になって護摩の炎で燃やし尽くしましょう。昨日までの自分と今日からの自分は違います。毎日が、一瞬一瞬が、生まれ変わりと変化の繰り返しです。自分の問題は自分で行い、自分にはできない所は仏さまの力をお借りして明るく素敵な自分に成長して参りましょう。

  日切大師弘元寺 平成廿九年十一月廿一日

《 ひとこと 》
最近は「功徳」、「徳を積む」という言葉を知らない若い方が増えたのだなと感じさせられます。そうした時に一緒に国語辞典を引くのですが、ふーん、そうなんだ!とはなりますが、功徳積みの必要性までは辞書に書かれていません。薪がないと火も燃えないように、徳積みがないと前に進まぬこともあるのです。自分の為の祈りだけでは前に進みません。相手を大切に。

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