法話

一方通行では無く、受け取りながら

 いかなる人も皆先生であると思って、万人に接し、
草木や空土は私の親だと思い手を合わせる。
このような気持ちで過ごせるのはしあわせな人である。

 対して、この人は自分にとって有益か、無益か、そのようなことばかりを考えて人と接しているならば大切な友人など得られない。この相手は自分より立場が上か、下かとばかり考えていれば人から信頼や信用など得られない。
気に食わない。批判してやろう。いじめてやろう。心の中で人が成功しないことをおもしろがる等、冷静に自分の日常態度を省みて自分が恥ずかしい考えや行いをしてはいなかと振り返るのはとても良いことです。
ある人は、一日の終わりに「十善戒を一日守れたかな」と一つ一つ振り返るそうです。

 忙しい忙しいと言って、自身を省みず、一向に姿勢を正そうとしない生活を続ければ、いつの間にか、己を自分から不健康、不幸へとしているもの。どうすればいいのか。まずは「感謝」。そして朝や夕、寝る前のどこでもいい、時間を決めて「祈る」時間を持ちましょう。お護摩の月参りはこの上ないお陰があるものです。仏さまを拝むとホッとする。そういった安心があること。これを《信仰の心》といいましょう。

 先日、お墓のことを聞きたいと言われるAさんのお宅へ拝みに行った時の話です。
そこにはちょうどAさんの長男のお嫁さんと、その娘(Aさんの孫)さんがいらっしゃった。ちなみに孫娘は三姉妹、長女は長男の家に嫁に行き、居合わせた次女ができればA家を継いでくれるとありがたいな・・・という家族の雰囲気である。お仏壇を拝んだ後に長男のお嫁さんはこう口にされた。
「久しぶりに亡くなったお父さん(義父)とつながれました。繋がれた、通じ合えた気がしました」と。
当然の事ながら、先祖を大切にすると、さも足らなかったものに水が満ちていくように、人生は好転していくものです。またその中でも人によっては特に先祖を大切にすると、墓をしっかり守ると、神社(神さま)を大切にすると、仏教(仏さま)をよく信仰すると良くなる、といった生まれの人がある。

 九星気学からも見られることですが、この大学生のお孫さんは特に先祖、墓を守る、大切にする、仏さまを信仰すると良いという因縁を持っていた。そういったお話をした後、お墓に一緒に参って拝み、また吉相墓をするという事はどういうことかを理解してもらい、自宅に戻ると、すぐに驚くことが起きる。

実は昨日就職活動で面接を受けており、合否は一週間後に連絡しますと言われていたのだが、お墓から戻ると間も無く合格の電話が鳴った。
「合否は一週間後と言われていたのに、これも拝んでもらったお陰でしょうか」とAさん。
「ご先祖さまのお墓に参り、拝んで貰ったらすぐに良い結果が現れたのでびっくりしました。今日本当に家にいて良かったです。たまたま家に居られて良かったです」と大喜びのお孫さん。

このようなことは嬉しいことです。ただ、たまたま、偶然というのは無いのです。
必ず成るようにして、すべて成るものです。居合わせたのも、嬉しい結果もそう。
またただ私が拝んだからだけでは無いのです。その奧には、ご先祖さまの、孫よA家をよろしくという思い、願いがあった、お知らせがあったのですし、あなた(お孫さん)がその思いに引き寄せられたというのもあるでしょう。そして家族が、ここに居合わした血が繋がっていなくともA家の子孫となる一同が先祖さまの気持ちに応答した。そのことが一番大きいのでありましょう。

目に見えない存在(もの)は日常生活のなかを探しても往々にある。目に見えない、感じないからと言ってそれは「無い」と決め込んでかかると、我々はしばしば大切な何かを見失いながら生きる事となる。分からないもの、つかめないもの、見えないものだからこそ、我々は目には見えないものに敬意を持つことが大切であります。

 ただそれでもいくつか納得ができない所もあったAさんであったが、私がA家の仏壇に座ると、すぐ喉が渇いた。あぁこれはきれいなコップに一つお水が置かれてはいるが、時々しか供えていないのがすぐに分かる。墓にも水が無いのが分かる。なんでも形から入るのは大事だが、でも形だけで終われば何にもならないものです。お水も置くだけではいけない。《お供え》をしましょう。大切に思うこと。そういった気持ちがお供えとなるのです。

 また帰り際に私はお仏壇で拝み、亡くなられたAさんの旦那さんにこう話しかけました。
「どうぞ○○(Aさんの旦那)さん、お孫さんの最終試験の導きの程をよろしくお願い致します・・・」と。
三度の礼拝の後、感動したお嫁さんはこう言われた。
「お義父さんと久しぶりにつながることができたように感じました・・・」と。

私たちはよく一方通行のことが多い。会話もお祈りも同じです。一方的にお経を唱えるのではなく、敬意と感謝の心を持って、何かを受け取りながらお祈りをしましょう。多くの不思議とつながりの中に生かされている私たちです。

     南無大師遍照金剛ありがとうございます
       日切大師弘元寺 平成廿八年五月廿一日

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