法話

心、意識から、はじまります

 自分の心はどこにあるのか。
 どんなカタチをしているのか。

これまでの話をまとめれば、
○ココロは、自分が、どのように眺めるか
(時間/空間軸・場所・感情)によって、
その在処(ありか)もカタチもかわっていきます。

○自分の心は、どのようなレベルの意識であるのかによって変わっていきます。
(心の内からまあるく輝いていくイメージトレーニング)

○心は無限大、またその可能性を秘めてる。

○自分の内側に起こっている心の活動を正しく観察しましょう。
 これらを意識していくと、きっと心は落ち着き、安心していくと思います。

特に、無限大の可能性を秘めていると知ることが大切です。
言いかえれば、 トラワレ ていない。
「空くう」のすがたをイメージ、知っていくのがよい。
とらわれていない=無限大ですよね。
こころに正しい情報が流れ込んで来ると、
意識・考えも自然とただしい方向へ向くようになります。
ここで、
「あ。こころは本来じゆうで自在なのだな」
って気付きます。

 さて、分かりきった事ですが、
心だけで生きているのが人間ではありません。
手があり、足があり、眼、耳、鼻。
口があっては 楽しいことも、悲しいこともしゃべります。
時に不平不満もあるでしょう。

人間がより良く生きるのに、身口意を大切にしましょう、と言われたのがお大師さまです。
からだ・くち・こころ。

思っていること(意識のレベル)・
おもてに出るエネルギー(言葉)・
生かしあいの世界にいきる生命活動(肉体)。

 十善戒(じゅうぜんかい)といって、
いのちを大切にしましょう、悪口を言わない、やさしい言葉を、
怒らない、忍耐しましょう、正直に・・・など、
悪を止め、善をすすめる戒があります。

この戒を守ることはお大師さまの言われる
「からだ・くち・こころ」を大切にしましょうという教えの初歩のやくわりを果たします。
親しいお坊さんから授けて頂きましょう。

 だんだん、修行がすすんでいくと、
こころ(わたしそのもの)が、
本来あった場所に帰っていく段階というものになります。

人間が、生まれて、年をとり、老いて、死んでいく。
死んで、初めてあの世に行くのでは無い。もともといた場所に帰るのだ。
これはよく分かったことです。

それと同じように、こころ(意識・魂)も
そもそも、あるおおきなものに懐かれている、と認識できます。
それを、
神さま、大親(おおおや)さま、仏さま、お大師さまに
いだかれている、つながっていると言ったりする訳です。

 お大師さまはそんな不思議な世界を唐から二つの曼荼羅として持って帰られました。
大日如来を中心とした、仏のひろがる世界です。
そこに生命の遺伝子情報といいますか、
なりたちを感じられるもの、往き道、帰り道を示すもの・・・、そう、
頭や知識だけでは理解できない世界を示すものです。

お大師さまはマンダラを前にどうされたのかというお話は、また来月に・・・

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