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「”間(Awai)に生きている”のを感じて」(3)

あなたは、「見えないもの」とはいったい何だと思いますか?見えないものを見たことがありますか?
当然のことながら、見えるものは眼で確認できるから、そこにあることが分かります。
見えないものは眼で見えないから、そこには無いと思います。
では空気はどうでしょう。眼に見えないから無い、存在しないかと言われるとそうではなくて、ただ眼に見えないというだけです。

他にも気体と呼ばれる水蒸気、湿気。これは肌で感じますね。音は眼に見えないけれど、耳で聞こえます。例外的に音の波、震動が形となって現れて眼で確認することもあるでしょう。
紫外線や微生物・ウィルスは人間の眼の能力では見えません。

匂いは…ありますよね。鼻を使って、色んな香りがあることを知っています。

味も…成分なんてものは見えないけれど舌を使って、色んな味があることを知っています。

重力もそうですね。17世紀イギリスの学者ニュートンは、りんごが落ちるのを見て万有引力の法則を発見、つまり初めて見つけて、それを理論で説明しました​​。それ以来、私たちは重力という力が存在することを知っています。不思議ですね。「落ちる」という言葉があるように、ニュートンの前から私たちは高い所から飛び降りたら「落ちる」と知っていましたが、今では重力という言葉で、起こる現象を知っています…。

せっかくなので科学的な「知る」の構造について、もう少し解像度を上げてみましょう。私が思うに知るにも5つの段階があると言えるでしょう。
①「体験知」 日常的な体験から知っていること。
②「計測知」 数量で経験法則を得て言語化する。
③「理論知」 異なる現象で比べて法則を説明できる。
④「機構・構造知」 構成要素と活動構造と成り立ち。
⑤「縁起知(因縁知/因果知)」 時間と空間、生死を貫いて、諸条件連関の網を知る。
[諸行無常にして因と縁により生滅する、その存在世界である有為(欲界・色界・無色界の三つの世界)において]

さらに仏教ではその次の段階、知るを超えた智慧(得る、得ないの対立と二元論を超えたところ)が用意されています。
⑥「空性知」、縁起の理法(道理)を得て、その縁起そのものがもとより無自性・空(条件依存で仮に立つこと)であると得る。またその空も空であると了解するところ(中道)。
…こうなると知の漢字を当ててはいますが、自分が知るという知の意味も、自分・自我(マナ識/第七識)の迷いも超えているので、分別を超えて如実に知る智慧として、本当は「空性智」と言いたい所です。次もあえて分かりやすくする為、方便的に知の漢字を当てています。また中道の理解にも重層あります。
⑦「無為知(涅槃/寂静)」、更に有為の世界を超え、不生不滅にして常住の境地。またそこから転じて人間の住むこの世界(欲界)の真実の有様を知るところ。

さらに密教、真言宗の教えに即した知るを加えると、
⑧「本不生」、本覚の顕現、如実知自心(実の如く自心を知る)があります。

先月の結びには、小さな自我を離れ、業を断ち切り、静かな瞑想を行うと空間は時間と密接であり、共に在ることを体験しますと書きました。私がこの体験したのは19歳、金剛界マンダラの修行をしていた時のことでした。
広大な諸仏の世界、その全てへ、仏と共にお供えものを捧げます。
仏さまはその供養・利益をまた世界の全てへ廻らし、埋め尽くします。
私の一滴の水の供養が「仏の加持」によって世界そのもの(法界)を埋め尽くす。
そのような最上の供養・修行の後、
本不生(本来不生不滅不可得)の理に住し、
広大な分別の無い境地に入った時、
空間と時間がひとつにして、別であり一つであり、
大きなうねりのようなものとして一切が溶け込んだ…如来の祈りの世界を垣間見ました。
密教の修行、祈りは深いものです。

見えないから無いのではなく、ただ見えていないだけであって、神仏や亡くなった霊魂はあります。
現代日本人の死んだら何も無くなるという考えは、
春に柿の木を見て実が無いと言っているのと同じでしょう。

令和七年九月二十一日
毎週日曜 朝6時「勤行・お茶」。 第二は福山霊苑。
10月5日(日)「滝修行」朝5時出発 6時現地
「水子供養/地蔵護摩」10時~
18日(土)「木の伐採・お寺の大掃除」10時頃~
19~25日(日~土)「1週間の前修行」朝5時~
21日(火)「御縁日の護摩」10時~ 20時~
22日(水)「大黒天」18時~ ※時間がいつもと違います
26日(日)「柴燈護摩・火渡り修行」入佛記念法要
お陰をいただきに皆さま、どうぞお参りください!

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