とても懐かしい気がしたのは、北海道美唄市の大心寺の本堂に入った瞬間でした。
そして、ご本尊さまの眼を拝すれば、私はなんだか涙が溢れるような気持ちになり、込められた深い祈りの歴史を感じました。
私は以前、現代社会における祈祷寺、また信者寺の実態を研究しようかと考えていた時、弘法大師をご本尊とするお寺の多くは檀家を対象とするだけでなく、
地域の悩みを聴き、門戸を広く開いている傾向があるという仮説のもと調査を始めたことがありました。
どこの都道府県が一番多いのか、ネット検索と聴き取りし調べていけば意外にも北海道が多い。聞くと、北海道は開拓の折に四国霊場を真似て弘法大師の八十八箇所が道内に作られ、まず小さなお堂や寺が建立されたこともあり、弘法大師信仰が盛んな地域なのだと。
また時代背景として明治二年(1869)の本格的な開拓が行われた時代は、弘法大師の八十八箇所があらゆる地域に広がり新設されたのと重なる。四国、近畿の僧侶らが開拓民に同行し、人々の祈りや死に向き合いながら、お寺が移動していった時代のようであります。
大心寺の開山は現住職の祖母にあたる方で、お寺のご本尊の弘法大師はもともと樺太の知取という地域で祀られており、そこで保育園を営みながら、お寺を開いていたが、昭和二十年ソビエト連邦の侵攻により脱出、道内を転々として美唄に落ち着いたとのことです。
まことに不思議な縁だと思ったのは、このお寺のお参りに同行していた男性の祖父も樺太に住んでいた方であり、戦火で戸籍が失われ、自分のルーツが分からなくなって何か情報が無いかと探していた所であったのです。もしかするとお祖父さまもこの弘法大師に手を合わせていたかもしれない。そう思わせられるご縁でした。
どの場所でも同じですが、弘法大師さまの尊像に手を合わせると、深い深い祈りを感じるものです。私たちの弘元寺のお大師さまは鎌倉時代より仁和寺にお祀りされていものです。静かに座り、合掌、呼吸を合わせ、大師の思いに心を重ねれば、多くの人々からお大師さまに捧げられてきた祈りの歴史を自然と感じるものです。
この美唄大心寺のお大師さまも同じです。どうか助けてください。命を救ってください。護ってください。そういった切実なる祈りをひしひしと感じたのです。般若心経、ご宝号を唱え、お寺が樺太にあったという歴史を伺い、お大師さまと共に生きた方々の御苦労に、またそっと手を合わせました。
いまの時代、命辛辛の思いで「助けてください」と願うようなことは不幸か幸いか、なかなかありません。どうか命だけはという祈りはとても深い。欲望を断ち、己の命を裸にして、どうか、どうか、と手を合わせることで私たちは多くのことに気付くと思います。一方で、他者によって自分の命が脅かされる、そういった状況が沢山世界にあることは悲しみの極みです。まだ変わることなく侵略、支配の思想が広がる時代。生命が誰かに脅かされることが無い世界を、力強く築いていく必要があるでしょう。
私たち人間は、頭で分かっても、心と感情が追いつかないといった場面によく出くわします。知識だけでは人は成長しない。体験から感性、心を育むことです。だからこそ、「貴重な体験」を増やしていきましょう。「本物の体験」を増やしていきましょう。これは何歳になってもできることです。また本物の体験を子や孫に話すことも大切です。してはいけない、とルールや規則を教えることも重要な一方、大切なことを教えることも必要です。
皆さまはどうでしょう。ダメだ、ダメだと言うことが、多くなってはいませんか?
「私はこんなことが大切だと思っているんだよ」と語れる人間に、成長できているでしょうか。自分の人生を振り返り、私がどんなことを大切にして生きてきたのか。お寺でまた教えて欲しいと思っています。
きっとその大切なことというのは自分だけで知ったこと、発見したことではなく、誰かから教わったことが多いことに気付くと思います。自分は一人で生きてはいない。振り返ることで気付き、また他者にやさしくなれる。振り返りと、気付きのなかで生活して参りましょう。
令和七年六月二十一日
毎週日曜 朝6時~「朝のお勤め」
23日(月)「大黒天 浴餅供・一時千座法」23時
29日(日)「弁才天 護摩」10時~
7月
3日(木)「毘沙門天」朝6時
12日(土)「滝修行」朝5時出発 6時現地
「水子供養/地蔵護摩」10時~
※※七月は第一日曜日ではありません。
19日「瓜封じ(きゅうり加持)」10時~ 護摩
申込は17日までに!
21日(月/海の日)「大師御縁日 護摩」 10時のみ