5月25・26日(土日)
西日本最高峰の霊山峯入り本山極楽寺参拝
「本山 極楽寺の参拝 護摩・権現様ご開帳」
「霊峰 石鎚山の登拝修行」のお知らせ
西日本最高峰の霊山「石鎚山」への登拝修行と
本山極楽寺への参拝は いわば里帰りの行事です。
月 日(日) 「石鎚山 入峯修行」
「本山極楽寺:石鎚大権現 御開帳 護摩」
記
○ 日 時:令和6年 月 日(日) 午前 7:20迄に集合
○ 費 用:大人6000円 小学生3000円 未就学児不要
(中学生から大人。ロープウェイ往復代金、保険料、本山御供料等)
○集合場所:極楽寺 「蔵王殿・寺務所前」の駐車場
※各自、車にて現地集合(極楽寺)お願いします。
住所:愛媛県西条市大保木4号 ℡:0897-59-0011
(石鎚伊予小松(T)線 142号線 の極楽寺バス停前の駐車場)
※別途:京屋 駐車場代(ロープウェイ乗り場の下) 車一台 700円 各自支払い
※保険をかける為「名前・住所・生年月日・連絡先」をお知らせ下さい
○持ち物
・タオル ・水 ・携帯食 ・お弁当 ・帽子 ・杖 ・虫除け
・カッパ(山の天気は変わりやすい。傘は危険) ・着替え
・着替えを入れる袋 ・お数珠 ・上に羽織る白衣(弘元寺に在庫あります)
・履き慣れた靴(お鎖修行をする方は靴のつま先が大きいと鎖に足が入らなにので注意が必要です。)
○有れば便利なもの
・日焼け止め ・虫刺され ・絆創膏 ・芍薬甘草湯(漢方薬。水分不足などで足がつった時に飲むと效きます) ・杖二本(両手に杖を持って歩く用。ただしバッグや体に結びつけられない杖でなければお鎖行場へ行けません。)
○お山、修行行程
7:20 極楽寺を出発
※この時に、祈祷申込者は「申込書」を極楽寺へ提出してください。
7:35 石鎚山温泉 温泉旅館京屋 駐車場へ
愛媛県西条市西之川106 《標高410m》
7:50 ロープウェイ乗り場「下谷駅」 《標高455m》
8:00 出発時刻 (7分)
⇒ ロープウェイ乗り場「成就駅」へ 《標高1300m》
8:30 山の中腹にある神社「成就社」へ (800m 徒歩約25分)
⇒足の悪い方、リフトがあります。《標高1450m》
「成就社」までの歩く時間は約15分のみになります。
12:30 弥山から下山を始める (頂上社《標高1974m》)
天狗岳《標高1982m》
15:00 ロープウェイ乗り場「成就駅」出発 《標高1300m》
15:50 石鎚山温泉 温泉旅館京屋 駐車場 出発
16:30 極楽寺 蔵王殿に於いて御祈祷「護摩・石鎚大権現のご開帳」
17:30 現地解散
○リュックの荷物の詰め方
重い荷物が下の方にあると腰に負担がかかります。
軽い物を下に入れ、上の方に重い物を入れると安定し、歩くのも楽です。
○その他の注意事項
・香水など香りのするものは厳禁。
蜂などが興奮しないよう、香りのきついものは避けましょう。
またお山の修行に行くのですから、不必要な化粧もやめましょう。
・服装は白を基調としたものを心がけましょう。
リュックなど仕方のないものは除いて、
修行に行きますので調和の取れる身だしなみを心がけましょう。
・前日はなるべく精進潔斎のこと。
肉魚などを避けて、身を浄めてお山に入りましょう!
・お鎖などの修行場はお寺の行者さんや、慣れた方の指示に従いましょう。
また雨が降ると石はすべります。無理はしない。お山は逃げません。
決して無理はせず、お山と自分の体と会話をしながら登って下さい。
※未経験者は一人で登らないでください。
・有名な「石鎚の温泉」があります。
お山修行が早く終わった方はロープウェイを降り、
温泉旅館京屋まで戻ればとってもいい温泉があります。
皆の帰りをゆっくりお待ちください。
※原則、12:30には山を下山し始めて下さい。
足に自信の無い方は12:00を目安にしましょう。
・お山の後、総本山「極楽寺」にて護摩を焚いていただき、
「石鎚権現さまの御開帳」をいただきます。
※護摩祈願の申し込みがある方。
祈祷申込者は 護摩の後に「祈願札」をいただけます。
専用の用紙がありますので、それに書き込んで申し出て下さい。
⇒朝、集合場所の極楽寺にて申込書を預けます。
●石鎚山 瓶ヶ森
石鎚山真言宗 総本山極楽寺の前身である「天河寺」は昔、石鎚山の信仰が現在の山に移る前、すなわち、瓶ヶ森が 石鎚権現の山であった頃、石鎚山の根本道場として栄えていました。
『極楽寺縁起』によれば、
「石鎚山の根本道場であった天河寺は室町時代に兵火によって炎上し焼失するに至る。康永元年(1342)、細川頼春、大軍にて天河寺に陣を敷く云云」と。また、
「天長5年(828)に天河寺を遷座する」と記す史料があることからも、石鎚の信仰の歴史がそれより以前に遡ることも伺えます。
瓶ヶ森が石槌権現の山であった時代には、天河寺というお寺が常住としての役割を果たしていました。