法話

お盆と先祖、施餓鬼供養

 「お盆と先祖、施餓鬼供養」

 今日は旧暦7月24日、お地蔵様のご縁日ですね。
早朝に秋風を聞いては、涼しく過ごせる有り難さを思いつつ体へそっと息を送り込む。この秋も皆様の人生において味わい深いものとなりますよう、お祈り申し上げます。
 さて先月にしておくべき話ですが、関東と関西でお盆の時期がズレているのをご存じでしょうか。そもそもお盆は7月15日前後に行われる習慣で、仏教の『盂蘭盆経』や「焔口と呼ばれる餓鬼の話を記したお経」、
また道教にて旧暦7月を「鬼月」とする習慣、つまり1日には鬼門が開いて15日には門が閉じる(鬼は霊魂を意味する)という中国大陸の習慣などと結びついて、ご先祖さまを供養する習慣となっています。
要は明治の暦の改定から幕府のお膝元である関東周辺は今の暦(太陽暦)に従って7月に行い、関西などの地域は旧暦(太陰太陽暦)の習慣を残して8月に行っています。
 いずれにしても実状としては8月1日付近になるとどうもザワザワしはじめて霊の存在を感じやすくなる人が多くなりますし、あの世にいるご先祖は家族が供養する灯火を頼りとされるようですから、更に心を込めて行うべきでしょう。

 おおよそ近年の習慣としては13日に迎え火を焚き、15・16日に送り火を焚いています。場所は玄関・門先・庭で、お墓の場合には提灯などの灯りを準備して行き、家までお連れするようになっています。
また地域によれば、亡くなって初めて迎える新盆はことさら丁寧に祀り供養する、玄関先などに提灯を準備できないマンション住まいであれば窓の近くに飾るなどあります。
 ちなみに浄土真宗だけは、亡くなった方は皆、極楽浄土にいらっしゃる(往生する)ので必要ないから供養もしませんし、迎え火なども不要としています。ただ真宗といえど安芸の州、広島市の辺りはお墓に盆灯籠を供え、それは美しく、コンビニでも販売する程に習慣化されています。由来は分からぬとされていますが、時の殿様によって皆、浄土真宗に宗旨変えをさせられて供養ができなくなったことに対し、せめてもの手向けにと始まったのやもしれません…。

 迎え火の話になるといつも話題になるのが、
「ご先祖さまは普段からお仏壇にいるのでは?」という素朴な疑問です。
要は墓にも仏壇にも宙にもいて、その霊は別ものでありつつ、一緒のものでもあります。時間の流れ、空間の制限を我々の世界と一緒のように考えても分からなくなりますし、古くは山中に土葬した霊魂が畑まで降りて(帰って)来る習慣の延長線上にあること、江戸時代から各家に仏壇が祀られはじめたことなども理解しつつ、魂魄(魂と魄)の働きに対する理解も必要です。
そして迷い悲しむ霊魂自身の問題、供養をしたいという残された者の願い、霊魂にまつわる実状と人の心情を理解してようやく見えてくるものがあります。まずは供養の心を忘れてはなりません。大切な人の未来を思う気持ち、それを行動にできる、形に表現できるのが人間です。善を努め、積みかさねましょう。

 先祖供養をしてくれる子孫がいなくなれば困るのはご先祖本人。また生前(生きている間)に善根功徳を積んでおらず、自分の行った悪い行為にも気付かず、懺悔の心がひとつも起きず、地獄や餓鬼道に落ちて苦しんでいても追善供養をし、助けてくれる子孫もいない。子孫がいるのに墓終いを思っている人は立ち止まり考えください。自分の子供達も同じ道を辿ることになります。自分の先祖を供養できない者がどうして自分だけ供養される善の因縁を得られるでしょうか。自分にできないことは仕方がありません。だけれども少し工夫すれば自分にできることさえ放棄してしまうのは残念なことです。

 盂蘭盆経には衆僧(僧侶たち)に供養する功徳によって地獄や餓鬼道で苦しむ親しい者を救う教えが説かれ、もう一方の経典に餓鬼や天、外道の迷い苦しむ者に施し差し上げ、施主の寿命が延びたり、沢山の福徳を得ることが説かれます。それが次第に日本では自分の先祖を供養する行事になるわけですが、やはり供養に漏れる霊や餓鬼さんが世に溢れる訳で、多くの寺ではせっせとその霊たちを供養するのです。

 今日は万灯会。仏に供養し、迷う霊魂を供養いたしましょう。
施餓鬼、灯明供養は大きな作善(善根功徳を積む行為)になります。

令和四年八月二十一日

《9月 修行案内 詳しくはホームページに》
4日(日)「滝修行」 5時お寺出発
     「水子供養・地蔵護摩」 10時
7日(水)「大黒天 一時千座法」23時
12日(火)「弁才天 護摩」 20時
21日(土)「お大師さま御縁日。お護摩。」
   ①10時 ②20時 どちらかにお詣りください
    写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。

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