法話

仏の心が見る景色は

 記憶力が良い、物を知っている、頭の回転が速いとかだけではない賢さを持っている。
そう感じる人に時折出会います。それは心を浄める修行をした人、また貪欲さを制止し、自我を離れたような・・・そんな人です。
 その佇まいは美しいもので、常に大いなるものに向き合っています。
一喜一憂だとか、大きい小さい、凄い凄くない・・・そういったものに一つも心躍らされません。そして自分の苦悩をよく退けています。世間の人は情報を得たその知識で問題を解決しようとしがちですが、知識では苦悩は晴れませんし、気を紛らわそうと小さな欲求を満たしたところで、一時の癒やしにしかなりません。

 仏の心が見る景色はどのようなものか。答えを先に述べますと、
一切衆生の心から浄土までの景色を実に明らかに見ています。平たく言えば一切とはすべて残らずを言いますから、地獄から極楽まで全部よく知っていてるということです。そしていま自分が何をすべきかも知っています。私たちのように心に不安があって居ても立ってもいられないから何かして気を紛らわせるなど無くて、仏様方は明確にいま何をすべきかを知っていらっしゃるようです。 己の悟りの心にまさしく従って行動できるのが仏様方です。私たちは多くテレビの情報や他人の言葉に普段から流されていて、本当に自分が思っていること、感じていることに触れられてはいないのではないでしょうか。 つまりリアルな感覚に生きていないのです。自分のことなのに・・・。そういった明らかでは無い分別のつかない、盲目的な心をいかにして浄めていくべきか。ちょっと考えてみましょう。

 先日、苦しくて、何をやっても空しくて、辛いんだという方が訪れられました。
私は自分がただ楽になりたくて仏道修行をするのも良い動機だと思っています。人間は自分が困らないと大事なことに気付けない生き物だと何度も見ているからです。ただしかし、実に修行すればそれだけでは終わらない。悟った仏と迷っている衆生は別なものではない。

白隠禅師(1685~1768)が「坐禅和讃」のなかで仏と衆生を水と氷に譬えられるように。
また明の智旭(1599~1655)は『大乗起信論裂鋼疏』のなかで涅槃を水に生死を氷に譬え、
親鸞聖人(1173~1262)は罪障と功徳をこほりとみずのごとくにてと譬え、
中国の天台大師智顗(538~597)は『妙法蓮華経玄義』のなかで無明と明を氷と水に譬えられている。
こうやって調べていると暑いインドの国では水と氷の譬喩をする発想なぞは出なかったのだろうなと思わされた。

 苦悩から逃げるためにあれやこれやとしているうちに、苦悩こそが私を救うのだと気付くこともあるし、大きな光のようである真理(道理)を得て苦悩の暗闇を消し去ることもあるし、それは色々な形があるでしょう。ただ先日来られた方は、
道元禅師の教えや座禅で救われたと仰った。ただ、その何が私を救い出してくれたのかは分からない。分からないけれど、ただ座禅を繰り返すたびに、私が本当の私になっていくのを感じていくのだと言われた。
こういったことが、知識や情報を得て救われる手段とは違うもの。小さな欲求を満たして一時の満足を得るものでは無いものです。

 大きな画用紙に○を書いてその中に自分と書く。私たちは自分を形にしたいようです。でも自分が画用紙そのものだと知った時に相手も仏も無いのだと知るのです。

 もとより仏と気づくと同時に、自分に否があることにも気づかなければならない。
その難しいバランスを教えてくれる良い師に皆さまも出会えますように。

          令和三年十二月二十一日

《ご修行案内》
31日(大晦日)  「水行」 23時20分から

正月元日
「鳴釜神事(鳴動護摩)」0時
「初参り祈祷」 9時30分~15時まで
※30分毎に心経太鼓・金幣加持の祈祷をします。
   ご家族、友人とよい時間にお詣り下さい。

9日(日)「箕島四国八十八ヶ所参り」8時~
16日(日)「己巳 初弁天 御縁日の護摩」20時~
21日(金)「お大師さま御縁日。お護摩。」
  ①10時 ②20時 どちらかにお詣りください
 写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。

31日(日)赤磐市 普門院「柴燈護摩」10時~

2月3日(木)「節分祭」20時~予定
  星祭り(星供用)の申込はお早めに!
星の吉凶・厄年の早見表をお寺に掲示しています。
ホームページからも確認できます。

《ひとこと》
 明日は冬至。一年を占う大切な日です。
一陽来復。カボチャにゆず湯。融通が利きますように。

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