「思う」「願う」「言葉にする」ことは人間にとってとても大切な力です。
確かに神仏の不思議な力はあります。しかしそればかりに頼っていてはいけません。
子供たちが段々と大人になるように、私たちも次第に仏様のように成れるよう、年相応、魂相応の努力が必要だと私は思います。あなたは一日、何を思い考えて過ごしていますか?
先日、NHKを観ているとオリンピック選手の能力に関する特集が放送されていました。
科学が進むと色んなことが分かってくるようで、私たちは単純に男女という差だけを考えてきましたが、各性別の中でも人体を形成する違いが様々あることが見えてきたようです。
中でも関心に残るのは、ある問題に対して、ここから先は科学的な知見だけでなく、社会学、文化学的にどうするかを今後考えていかなければならないでしょうと締め括っていた場面でした。安楽死や脳死、移植の問題においても同様です。生命科学、遺伝子工学、生命倫理学、哲学、宗教など様々な視点から見える景色を共有しながら議論が必要なテーマです。
そしてオリンピック選手の肉体を論じる中で、人間は他の動物に比べて前頭葉が発達している。だから言葉にすること、意思の力によって脳が制限している肉体の限界とする壁を越えていけるのだと語られていました。変わろうとしないこと(変わりたくない)は脳の性質であることをよく知っておくべきです。私たちは変われる、成長できる、困難な事も弛みない努力で達成できることを常に言葉にし、意識しておかなければならないでしょう。
私は仏道修行をする身において、一つの問題やご相談に来られる方に対して、いつも脳、思考、習慣、言葉、心、環境(家族、友人、会社、社会)、霊魂(過去世)、因縁という様々な面から問題を見ていきます。
そういえば霊魂があるかどうかについてを東京大学医学部の教授がこのように語られていました。
「死は終わりではない。私たちの魂は永続します。そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」。
「魂を語ることは非科学的ではない、科学の方がまだそれを証明するまでに至っていないだけだ」。
科学、非科学と言うけれど、真実かどうかを自分で深く確かめようともせず、他人の言われることを鵜呑みにする方が私は危険であると思うし、無いと断言すること、簡単に諦め、止めてしまうことも科学的ではありません。
お釈迦さまもこう言われました。
「説かれた法を鵜呑みにしてはいけない。私の言うことを信じないでください。真実であるかどうかを確かめてください」と。
専門的なことは専門家に尋ねるのが早いし、論文を読むと勉強にもなる。しかし例えば速く走る方法をいくら学んでも、自分の足を使わなければ、速く走って見える景色がどのようなものかは分からない。仏教はお釈迦さまが説いた真実、仏の説かれた悟りの境地を体験できる教えであるから、実践ができる。一神教では基本的に人は神に成れないが、佛教は仏にも神にも成れると説く。すべてに固有の霊性・佛性を認め、すべてに無限の可能性を見いだす所は、私たちの教えの素晴らしい核心であると思う。
現代も体験型というのが流行っていますが、佛道も、修験道も同じでしょう。
弘元寺では、もっと修行機会を整備して、仏様を体験できる機会を増やし、皆さまと一緒に成仏できるようなお寺にしていきたいと思っています。
ちなみに数年置きに開かれる弘元寺の結縁潅頂、これも仏様の世界に入るという体験型の儀式です。阿闍梨という存在は仏のマンダラ世界を心の内にも外の世界にも築ける人のことを言います。密教は二元論に縛られる俗世間の言葉を越え、聖なる真言を唱え、仏の世界、仏の誓願の中で修行をしていく教えです。皆さまも日常から良い言葉を口にし、仏様の誓いの中で生活いたしましょう。
令和三年七月二十一日
《八月 ご修行案内》
7月28日(水)「うり封じ(胡瓜加持)」
10時・15時・20時と三度護摩を焚きます。祈祷キュウリを受け取り、壇巡りして下さい。
※きゅうり封じは27日晩に祈祷しますので、お早めに申込ください。祈祷のみの申込も可能です。
8月1日(日)「滝修行」 お寺5時出発 「水子供養・地蔵護摩」 10時
6日(金)「広島市内の川上流より施餓鬼供養」8時
21日(土)「万灯会・お盆の後送り」19時半より
※万灯会の供養申込は専用用紙にお書きください
1930 水本堂にて護摩/水子地蔵前にて施餓鬼
2000 因縁除け札流し/御焚き上げ 2030 花火
27日(金)「三宝荒神」 20時
29日(日)「石鎚/龍王山の登拝」極楽寺に6時集合
※龍王山とは御本山極楽寺の前身「天河寺」があった霊山であり、石鎚山総鎮守八大龍王を祀り、石鎚大権現 御三体が出現された道場であります。
《 お知らせ 》
※お盆参りを希望の方はお早めに申し出ください。
お施餓鬼供養を各家にて修行いたします。