法話

引っ越ししてから家族の調子が悪い 和尚をふりかえって9

 どうも引っ越してから子どもたち含めて調子が悪い。
土地が悪いのか、引っ越した時期が悪いのか、他に何かあるのでしょうかと相談があった。
今回は現地に行った方が早いと感じ、お寺から二時間車を走らせた。

 古い土地で近くに古墳がある。山からは川が流れ、縄文時代の遺跡もあるようだ。
地相、こういった場合には、まず土地の勢いというものを観る。また遺跡や土地の神様が元気があるか無いか。地域全体が護られているかどうかも重要なポイントになる。
家の下にゴミ、産業廃棄物や貴金属が埋もれていないか。お墓だった場所の上に建っていないか。東西南北にある山や池、道、建物。そして邸(やしき/家の敷地)の形を観て、家の形状、屋根、棟の姿を観る。すぐれた人になると、この時点で家に住む人がどのようであるかが分かる。

 子供の命が関わる場合には親ならば皆そう思う。
「あのぅ…引っ越した方が良いでしょうか…。」

 勘違いされやすいのが、悪い場所(家)に住んでいるから悪いことが起きる、運勢が悪くなる、問題が何度も起きると思われがちだが、これは半分正解であり、正確にはまったくの間違いでもある。

 ゴミだらけの部屋で生活していれば病気になる。これは当たり前のこと。
だけれども家をゴミ屋敷にするのは住んでいる人間がすることである。選び、望んでそうしているわけでなくても、その人間の習慣や、心がそうさせている。
同じように地相の悪い場所を選ぶのも、家相の悪い家を建てるのも、その人間、家族が選んでそうしているのである。
「あなたのような方が選びそうな土地(を買っている)。あなたのような方がしそうな家(を買っている/建てている)。」とこうなる。

 つまり場所を変えただけでは根本解決にはならない。生き方、命を変えていかねばならない。
今の住所を変えても、また同じようなものを選ぶ。繰りかえす。だから人間としての性根を変えていく、家族全体の縁を変えていくことが必要となるのである。
因縁とは原因と結果であると同事に、同じことを繰りかえしていることを教えてくれるものである。

 現状を変えていく方法。
今回のご相談においては神様、仏様、ご先祖様を大切にすることからが良いことをお話した。
やはり先祖祀りが基本である。

 家系図を作成して、先祖を知って、自分の命、血がつながった方が治まること。
墓も大切。先祖が根っこで、私が木の枝、子供達が木になる花や実であるならば夫婦は幹となる。先祖や神仏と、いのちが繋がると色々と気付いていくもの。

できることから行いましょう。

            令和二年十月二十一日

~おしらせ~
『大般若転読祈祷』前修行 10月22日~31日
 ・ 皆様の心願成就と世の安寧を祈り修行します。

《行事案内11 月》
1日(日) 「水子供養」(中止となります)
※『大般若転読祈祷会』11月1日
 ・ 感染予防の為、9時頃から ライブ配信します。
 ・ Facebookで、弘元寺を「いいね!」登録ください。

3日(火)「毘沙門天」 朝5時半
16日(月)「大黒天」  23時

21日(土)「お大師さま御縁日。お護摩。」
 ※密を避ける為、午前と夜に護摩を焚きます。
①10時(外)
②20時(本堂)  どちらかにお詣りください。
   写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。

22日(日) 「弁才天 護摩」 20時

「宥善和尚の人生を振り返って⑨」
 昭和18年(1943)23歳。3月24日、天寳山付近の戦闘(第三十九師団、第八中隊)において右肩頭部、左鎖骨下に機関銃の弾を受ける。参加した兵の多くが亡くなり、殆どが負傷したと記録にある。和尚のいた中隊は増援に向かい、敵重囲の突破を図って八回突撃したと。
 現代では軍歴証明書には事細かに記録されていない部分も、歩兵第四十一聯隊(れんたい)等で調べると福山から戦争に行かれた方々の記録が確認できる。
 同じ人間が敵と味方に分かれて殺し合わなければならない、いつ死ぬかも分からない、大変な時代がたった七十数年前のこと。新型コロナも大変だが、距離にしてただ一歩だけ、前にいるか後ろにいるか、それだけで生と死が分かれる戦場。一分一秒、今日明日、そこにある不安を考えると、何が支えに成りうるのだろうか。いっそのことすべてを投げ出せた方が楽なのかもしれない。
・7月1日、歩兵第232連隊に編入。
 いつの話なのかよく分からないが、和尚が兵隊に入って間も無い頃のことだと聞く。
作戦に出たが、各部隊に沢山死人が出る。仲間と会話する中、和尚が、
「死人が出るのは当然のことだ」と言ったのを上官に聞かれ、呼び出される。
「何事か!」と怒鳴られ、どうなることかと思う中、更に上官になる方が何故そう言ったのかと理由を尋ねられた。言っても良いのかどうかと迷う中、再び訊かれて観念し、こう答えた。
「内地(日本のこと)にて習いました教えに由りますと、陣を張る場所が悪いようになっています。」
 さて、こっぴどく叱られるかと思ったが、上官は地図を取り出して詳しく訊ねられた。しばらくして部隊は移動。他の部隊は変わらず死人が出るなか、和尚の部隊だけは死人が出なくなったと。
 昭和19年24歳。3月、兵正勤章を附与される。
 同8月、衛生伍長となった。            つづく

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