法話

心の声をしっかりと聴いて 和尚をふりかえって6

1、密閉(換気の悪い密閉の空間)
2、密集(多くの人が密集している場所)
3、密接(互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる場面)
 3密。これからは県をまたぐ移動が増えてきます。
 手洗い、物をさわる、多人数での食事など気を配り、お互いを思いやり、過ごしていきましょう。

 さて、仏教では身口意を三密、三業と呼び、とても重要なものと考えます。

1、実際の動き、行動。体の行為、働き   「身」
2、音となるもの。口から発している言葉   「口」
3、思い、感じ、考えていること。思考と感情 「意」
 これらがチグハグだと人は苦しくなる。

 私は天の邪鬼だから…と、あたかも自分が決めてそうしているかのように言う方もあるが、
それは本当に本心からそう決めてしているのか。口が咄嗟に出てしまうとか、手が勝手にとか、自分の積もり積もった習慣、クセが自分を振り回しているのだと気付く人も多いことでしょう。

本当に口に出したいことが言葉にならない。実際の行動にならない。
それでも、その時はそれで良いと思っているが後から段々と苦しくなっていく…。
なぜ後から苦しくなるのか。身口意が一致していないからである。ただそれだけなのです。

自分が本当に感じている、思っていることをまず知る。大事にする。素直になる。
まず初めの一歩はそこからだと思います。

ただし心の奥底を知るとなると人間、焦っていたり、怒っていたり、必要以上に苦しんでいたりすると自分の心の姿が分からないようにできている。
安心することが重要だが、それも甘えるとはちょっと違って
欲しい欲しいという甘えではなく、身を預け、すべてをお任せした時のような安心感のことをいう。

 投げやりと、お任せするも、ちょっと意味が違う。
もうどうでも良いやと自暴自棄になっても、そこはまだ大地、地球が支えてくれている。
孫悟空の、お釈迦さまの手の内であったという話のようなもので、知ると知らざると、自分の生命を支えてくれている存在に気付くこと。これが感謝の本質に思う。
大地、自然、地球も宇宙も、先祖様も、普段は目に見えない力だが、生命を支えている…。そのような無音で支えてくれている存在に気付くことが感謝の本質。

 経典や佛さまの言葉は、その無音を言葉に変えているもの(慈悲)と言えます。経典は一から読まなければなりませんが、あなたが肌感覚でずっと知っている、自分の生命を支える自然、宇宙の声は初めから覚えているはず。あなたの体、息する呼吸が、よくよく知っている。

だから呼吸を調えて安心となる。調息は仏教の悟りの基本修行にもなる。
自分の体、言葉、心が、私の感じているものを正しく知ること。
五官から起きる認識はとても大切です。

 あれ?この景色はこんなにも美しかったかな…とか、
気付けるようになるところから始めてはどうでしょうか。

 「お寺でのお祈り、呼吸。座禅」「自然の中で心を落ち着かせる。大地に身を任せる」「滝修行」「護摩の炎に身をゆだねること」「住職さんのお経に耳や体を預けること」 これらは体で感じていけること。

 「お写経」「護摩木」「仏さま、お大師さまへ語りかけるように祈ること」 これらは自分の心の正体を教えてくれること。そして願いを通じさせるもの。

 「やさしい言葉を選ぶこと。使うこと」「心から表現したいことを知ること」「一呼吸」。「日本語・言葉の表現を増やすこと」 これらは自分の言葉を浄め、その言葉に力を与えていきます。普段使っている言葉は力。そしてお経や御真言とは真実の力です。

 身口意を一致させ、お寺にお参りし、安心して、また修行して気持ちよく今日を生きてください。

        令和二年六月二十一日

《行事案内》
28日(日)「三宝荒神供」20時
7 月 3日「毘沙門天」 朝5時半
5日(日)「水子供養・地蔵護摩」10時
19日(日)「大黒天 一時千座法 修行」23時
21日(火)土用丑「瓜封じ」  今年は4回護摩を焚きます
   10時~、 13時~、 16時~、 20時※御縁日護摩~
 夏の厄払い・病気平癒・疫病退散に。ご家族でどうぞ。
 ※今年はお寺でキュウリを準備します。
※本堂に 申込用紙があります。申込は19日迄に。
(同日) 「お大師さま御縁日」 20時~
    写経奉納。お護摩。護摩木。先祖供養。
25日(土)「弁才天 護摩」 20時

「宥善和尚の人生を振り返って⑥」

 和尚が10代後半、何をしていたかはもうよく分からない。石鎚山を往来しながら、亡き父に代わってお寺を護っていたようである。昭和15年(1940)、自宅に赤紙(召集令状)が届く。村の人たちが神社でお祝いをしてくれた。もう宥善なのだけどなと思いながらも、皆が「太一君。太一君。」と祝ってくれたのは嬉しかった。師匠もこの祝いに参加くださる。
 10代の頃か年月は分からないが、京都の教王護国寺(東寺)において松永昇道師の下「傳法潅頂(でんぽうかんじょう)」を受けている。修行を終えた暁に授かる真言密教の法である。戦地に行く前にと、多くの人が一緒に法を受けたのだと和尚より聞く。
 一方、極楽寺の師からは、「死んではいけない」と教えられて、不動明王の法を授かった。 つづく

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