「心のそこからきれいになること。
これが年を取ってもきれいな笑顔でいる秘訣」という話を聞く。
これは若くても同じこと。ただ現実社会では表面をどう取り繕うかばかりが流行り、しっかりと自分自身を見つめる方法を教えてくれる人はありません。
女性であれば その人となりは顔でみる。
男性であれば 目をみる、と言います。
お坊さんの世界でも易学、気学の世界でも同じように習うのですから面白いものです。男女によって現れに部分か全体かの違いがあるものの、内面が外見に出るという法則は同じです。
原理原則、道理を紐解く教え、実践に触れられることは人生の宝となります。それは自分自身のみならず、家族や友人、仲間、多くの人を幸せにする道しるべになるものです。
さて、身心を浄めて過ごすことは自分を知ることにつながります。多くのご相談の方に見受けられます、「分かっているのだけれど出来ない」に悩まれている方は多いもので、試行錯誤される方はさておき、できない理由分析を頑張ることが苦手とか相手が悪いからと言われた時には、、どうしようかなと私も遠くの空を見つめてしまいます…が、私の場合にはそのような時にも、座っている場所から見える不動明王さまが、「頑張りなさい」と励ましてくれること、心の内よりお大師さまが智慧をお分けくださることが何ともありがたい。いくら理屈を言っても、勉強しても、行動しても、神仏に嫌われるようでは上手くいかないものです。まずは素直にありたいものです。
先日、遠方より出張を乞われ、ご相談へ伺いました。初めにあれこれとその家の特徴や、迷い、上手くいかない構造を丁寧に丁寧に説明をします。しかしそれだけでは、当たり前のことかもしれませんが大きな様子の変化は見られません。やはりお祈りをするに越えることはありませんので、神さま(神棚)、仏さまとご先祖さま(仏壇)、それぞれお祈りをします。驚いたのは、振り返ると家族全員が目覚めたような表情と目の輝きに変わっていたことでありました。
病院でも薬の効能書きをいくら説明されても効き目はない。服用して初めて薬の効果は現れます。祈りには正しい観察を伴うことが必要ですが、机上の哲学ではない実践(祈り・祈祷)はやはり大切なのです。
前置きや大切なポイントの説明があるからこそ、薬の効能は一層発揮されるものと助け船をいただきましたが、、、そうですね、人間は習慣が性格、性格が人生になっていきますから、しっかりと効能書きも理解していただけるとありがたいことです。
祈りはあらゆるものを洗い流す力があります。
幸せになりたい。良くなりたい、良くなりたいと両手に沢山物を取ったらどうなるか。それ以上は手に持てなくなるのです。なのにまだ取ろうとするから重いし、しんどくなるのです。あなたは与えず、求めるばかりの人間になってはいないでしょうか。
まずは両手を自由にすること。洗い流すこと。
心のそこからきれいにすること。
そうしてから考える、教わるのが良い。
その時にはまた新しいもの、違う形のしあわせを掴むことができるようになっているものです。
心を洗い清め、身心を良い状態にしていると、何か間違ったことをしている時には違和感に気付くものです。単純な葛藤や悩みにも目覚めのチャンスはあるのですが、自分を知り、コントロールできる部分を少しずつ作っていけば、質の良い気付きを増やしていけます。日頃より、「あれ、なんだか違う」の基準値を上げていくのです。
日切大師弘元寺 令和元年八月廿一日
《今月のひとこと》
誰かと争っている時、普通は相手がダメになるようにと思うものだが、そうすると不幸である相手はより一層こちらを攻撃してくる。相手が救われること、幸いをどこかで祈れるようにいたしましょう。