法話

焼八千枚護摩の行が終わって

 「お不動様の七つ結 ~七覚支~」

この度はお陰を持ちまして七年ぶりの
焼八千枚護摩の修行、無魔成満致しました。

 朝一時半より起床し、一日三座の護摩を修しながら
御真言をお唱えし、最後は規則に従って
不動明王さまの慈救呪、十萬遍を一週間の内に唱え上げました。

 食事は正午までとするを一月。お米や豆を食べない穀断ち、塩断ちを半月行いました。
それでも真剣な修行、清らかな信仰の中にあればこそでしょうか。
気持ち、心がつらいということ等はありませんでした。
ただ何度かこのまま死んでしまうのでは無いだろうか・・・と思うこともありましたが、
ありがたいことです。 私は今も、このようにして心臓が動き、呼吸をして生きています。
一度一度の食事もありがたいと今日も感謝できます。

 この世にいま自分が存在するということを感じ、考えてみれば、
先祖があり、大地や空、地球や太陽があり、あらゆる生物、
存在があってこそ今日いまここにいる、ただ当り前のことに気付きます。
いま流れる時間も、この空間があって初めて動くものだともし気付き、
その虚空に意識を向ければまた何かを新たに気付くことができます。

弘元寺の行者さんたちに伝えました。
泰教の焼八千枚護摩を共に修行するにおいて、
「一日の目標」、「修行の目的について」、自分の中で 心まとめ をしっかりと行って修行しましょう。
人は気付くことが大切です。気を付ける。意識を向ける。その基本がなければ気付けません。

あの人は本当に気付かない人だなという場面がありますが、
例え「気を付け」、「意識を向け」ていても「気付く」ことは難しいことです。
だからこそ、たゆまず続けることが重要です。
毎日体操をする人はそれなりに。毎日歯を磨かない人はそれなりに。毎日不平不満を口にする人はそれなりに。日々の行い、今日のこころが、当然のように未来を作っていきます。

 過去の何か一つが欠けても、今日の私にはならない。それは真理です。
さまざまな縁があって私という存在が初めてあること。これも真理です。
少し話が逸れますが、こういう話になるといつも
「良くも悪くも」過去があって現在があるという話になります。

ただし本来、仏の教えではこの「良い悪い」「好き嫌い」という価値判断が
あなたの現実を歪めていると言います。
「無念、残念」と念という漢字を使いますが、この念とは気持ち心、思いを示します。
仏教では記憶、体験したことを忘れないものを念とし、
ポジティブに扱えば念じること、一つのものに集中すること、
呼吸の瞑想ではその呼吸にただ成りきる心の作用をいい、散乱した心が静まるを言います。

 さて七覚支というものがあって、私は修行中これに助けられました。
不動明王さまが髪の毛を七つの結にして一つに束ねた髪型にするのもそれを現しているのですが、さとりの境地に辿り着く助けをする、支えとなるものを示しています。順番など色々あるのですが、

①教えの中から真実なるものを選びとって偽りのものを捨てる(択法覚支)。
②くじけることなく一心に努力する(精進覚支)。
③真実に触れて喜びが生じ、執着も離れいく(喜〃)。
④身心が軽やかとなり自由となる(軽安〃)。
⑤心が偏ることなくなり、対象への捉われを捨て去って、平等の真理に住する(捨〃)。
⑥心が定まり集中することができ、乱れない(定〃)。
⑦思いをまとめ忘れず、仏の覚りとなりいく(念〃)。

 修行中の体のしんどさは、
不動明王と共になって、この七つを確かにたどることで消えていきました。

仏教は努力が必要な教えですが、
ただし絶対に助かることが分かっていることが、大きなポイントです。
ゴールの無いマラソンをするのではないのです。

必ずゴールが見えていて、自分のペースで進めさえすれば良い教えですし、
何よりも有り難いのは「仏さまが助けて下さる」ところです。
しかもありとあらゆる仏さまが、あの手この手と導いてくれます。

 自分という存在の真実は、自分考えの中だけでは決して見出せません。
○○ファーストという言葉が世間に横行していますが、
やはりそれを真面目にやっていると真理からは遠ざかり、
暗い苦しみの道を歩むことになるでしょう。

ちょっと間違えば、自分に自由になるどころか、
自分、自分、自分の壁を作って、他人も見えなくなり、
また他の縁あっての自身ですから(すなわち空)自分も見失ってしまいます。

間違った利己主義の横行は、仏教の相互供養の道に遠ざかるものです。
いのちを傷つけていきます。自分を大切にするは他を大切にすること。

自分を大切にしましょうとは、慈悲の心を第一の宗(むね)として、
あらゆることを大切にして生活することです。

己の自力で地球が回らぬように、足らぬできぬ事は沢山ありますから、
あらゆる神仏の存在、親先祖の心、生き方に見習い、真実見いだして、
一つ一つ気付きながら、この世に生まれきた意味をまずは確信いたしましょう。

尊い仏さまの修行された道に見習いて・・・。

    日切大師弘元寺 平成三十年三月廿一日

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