法話

餓鬼(ガキ)さんの供養

今日(8月21日)、弘元寺では、
お盆に帰って来られたご先祖さま方の後送りをする万灯会のおまつりです。

最近お聞きしたお盆や餓鬼さんのお話を3つ紹介します。

「私は今まで死んだらそれで終わりだと思っていたんですが、亡くなった父親が夢枕に現れて、おい、盆に帰るからよく分かるように灯りを付けてくれと言ったんです。こんなことってあるんだなと思いましたけど、とても鮮明な夢でね。だからね、今年からきちんとお盆の供養をしようと思いました(笑)」

「お盆で、檀那寺さんの施餓鬼会に4歳の娘と参加したら、娘の目つきがいつもと全く違ってギョロッとしていて・・・それで抱いて寝かしていたら、娘が急にフゥーっと息を吐いた。そうしたら元通りにいつもの娘に戻っていました。ビックリしました。こういうのを見ると、やっぱり霊を供養するとか、餓鬼が憑くとかあるんだなと確信した出来事でした。」

「これはちょっと失敗談なのですが、お盆だったので迎え火をと思い、今は墓石も無いのですが、昔はここにあったであろう墓所に行ってお線香を焚いたのです。
昔の墓所から新しい墓所にご先祖さまがしっかりと移られていないと以前言われたこともあり、御供養も兼ねて、古い墓所から新しい墓所まで線香でご先祖さま方をお連れしようと思ったのですが、それから私を含めて家族全員が順に調子を崩してしまいました。
まず自分がちょっと具合が悪くなって。餓鬼さんのお腹がぽっこりとしていますけれど、そういう感じでお腹の調子が何か悪い。これはいけないと思い、お清めするのに塩水を飲んだのですが、やっぱり古い草むらの中にある昔の墓所が原因だったかなと・・・。
お盆には善いも悪いも沢山の霊が帰って来られるといいますが、私は大丈夫かなと思い、先祖様だけの供養を思ってやっていましたが、やはり気を付けて物事はしなければなりませんね。土地の神さまにしても、墓所のご先祖さまにしても心を掛けて供養やお参りをしなければなりませんね。」

皆さん色んな体験をされるものですね。
見えないものを殊更に畏れる必要はないですが、やはり大切にはしなければなりません。
人とケンカをしたり、時々あると思いますが、だいたい後になってよくよく考えれば、
多くは相手の思いをよく考えていなかったなとか
一方的に自分の意見を相手に通していたな等、気付くことも多いものです。

土地の神さまも、ご先祖さまも、こちらの声や思いに耳を傾けてもらいたいもの。
私たち(人間)の都合や感覚で全部やってしまうことで
気付かずに失礼なことをしていることも多くあるようです。

こんな話もありました。
ある霊感のある方に「お父さんが成仏できていない」と言われ、拝んで頂こうと思い
お寺に来た女性。
仏に成る(さとりを得る)と書いて「成仏」。お釈迦さまも八〇〇〇回の生まれ変わりをしてやっと覚りを得られたとある経典では言われます。
仏教の真の意味合いからいう成仏なんていうのは実際の所難しいです。

あの世に行かれ、
この世のしがらみ、思い込みの世界から離れる。
あの世の理の中で暮らしをされる。そうなれば良いと思います。

ただし、あの世の理の中というのは、
こちらの世界しか見えないとそういう表現になりますが、
あの世に行き、あの世とこの世が見渡せたならば
般若心経の前経に「生死の海を渡す筏なり」とあるように、
生と死が、どこか遠いものではなくなるでしょうし、

あの世の理とこの世の理も
同じ理の中にあることにも気付けるのかもしれません。

最愛の人の死に際して時間がずっと止まっている方と一緒に考えることがあります。
あの世にも時間の流れがある。私たちの時間が流れているように。
死んだ先のあの世では、「いま」あの人はどうされているかを考えること。
あの時の止まった声ではなく、いまのあの人の声に耳を傾けること。
するとどうでしょうか。寂しさや悲しみは同じかもしれません。
しかし何か、新たな何か、分かることがあると思います。

また家族になる者は いわゆる魂の似たもの同士です。
善いも悪いも業、因縁の似たものが多くは家族になっているようです。
ですから、私たちから見れば、亡くなったお父さんが大変に見えるかもしれません。
しかしお父さんからしてみれば私たちと見えている状況は同じやもしれないのです。
逆においおいお前たちの方がよっぽど大変な状況にいるぞと心配をしていることだってあるでしょう。

供養をしてあげると私たちは言いますが、その供養をもって実は私たちの方が救われているのが事実です。このような気付き、理解に至ること。
これはとても大切な気付きの段階の一つに思います。

私たちは縁とつながりの中で生かされています。
亡くなられたご先祖さまだけが一方的に困っているという状況などはあまりありません。

お互いに行く道は殆ど同じようなものですから。

ご先祖さまも、自分自身も、一切衆生も、仏さまの力によって同時に平等に救われる。
このように仏さまを感じることも大事なことです。

仏さまの力や本質を知ることにつながります。
また家に仏壇がある功徳も計り知れません。
先祖を負の遺産にしてしまうも、子孫の財産にするも皆さん次第です。

自分の存在は子孫にとって必ず宝物になります。
先祖無くして生きている人間などいないのですから。

それを大事にできる器の人間と、できない人間の器を
よくよく考えて墓や葬式のことを考えてみて下さい。

自分たちの存在が子孫の負担になるなどとすぐネガティブに考えず、
お互いが宝物となれる道を生きている内から考え、
子孫の為に準備することは大切です。

さて弘元寺からのお盆のお参りでは、各ご家庭においていつも「お施餓鬼供養」をさせていただいています。これは餓鬼道に堕ちるというのは自分だけが良ければそれでいい、というような貪欲の道に生きる者が向かう世界であるからです。
よってご先祖さまにお膳を供えるだけでなく、同時に広く餓鬼道に迷うものや所縁の霊に供養を手向けるということが先祖や私たちにとっても大きな功徳積みとなります。

生きている間に功徳積み、沢山いたしましょう。

  日切大師弘元寺 平成廿九年八月廿一日

《 来月までのお祈り》
8月24日 地蔵護摩 10時 感謝の護摩
9月3日 滝修行  5時寺出発 コンビニ5時半 
     水子地蔵 10時 水子・諸霊供養・護摩
     毘沙門天 20時 願望成就・智恵・繁栄
  14日 弁才天護摩 20時 願望成就・良縁
  21日 大師縁日の護摩 20時 写経奉納・月参り日
 23日 彼岸(秋分) 10時 箕島霊苑合同供養祭
 24日 地蔵護摩 10時 感謝の護摩
 30日 三宝荒神 20時

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