結縁潅頂とは、
仏様とご縁を結んで頂き、如来さまの智慧と、
心の目(仏眼)を開かせて頂く、
密教最極の儀式であり、
誰でも受ける事ができるものでもあります。
またお大師様(弘法大師空海)は、
御年32才の時、
唐の都・長安にある青龍寺に於いて、
この儀式に入壇(にゅうだん。儀式を受けること)されました。
また唐から日本に帰られて初めてなさった儀式でもあります。
この儀式には「金剛界(コンゴウカイ)」と「胎蔵界(タイゾウカイ)」の二つの潅頂があります(両部の潅頂)。お大師様はこの二つのマンダラをもって秘密の教えを説かれました。
マンダラとは何か。
意味は「本質を得る」。また「真理に至るために仏が現れた世界」とみることができます。
仏という存在は、
つまり私たちに真理、真実とは何かということを教えようとしてくれている方々なのです。
それは深い深い果てしない慈悲の心によって・・・です。
ただし子どもが、
親の子を思う気持ちが若い時には分からないように、
私たちもなかなか仏さまが私たちをいかに愛して、育み、導こうとしてくれているのかに気付くことができません。
なぜなら・・・
智慧、気づきが足らないからなのです。
これは日常生活のどのような場面でも同じことが言えます。
気づきのない者は愍れ、であるのです。しかし生きることは本来、気づきの連続です。
人間は本来気付ける存在なのです。
それは何故かというと、
「そもそも本当に大事なことを知っているから」とお大師さまは教えます。
あなたが本来持っている尊さ、本より輝いていることに気付くこと。
方法は、仏の慈悲と智慧の導きによって。
その(仏の)心の内側をあらゆる手段を使って知ることによって。
身体、口、意が一体となることによって。
あらゆるを仏にゆだねられることによって・・・
そろそろ結縁潅頂のいわれをお話してみましょう。
始めもなく終わりもない永遠の仏・大日如来は、
この世界から次元を超えた世界で今も私たちのために仏法を説いていおられます。
これによって宇宙は存在し、私たちを含め、あらゆる存在が生かされているのです。
あるとき、金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)という仏が、
大日如来さまの悟り「一切智智(いっさいちち)」とはどんなものでしょうかと質問しました。
そこで如来は瞑想に入って、その悟りの境地を宇宙いっぱいに描いてくださいました。
そこで、菩薩のかたがたも、同じように瞑想に入ってみました。
すると、どうでしょう。
如来の全身からあらゆる智慧のはたらきが、たくさんの仏や菩薩、神々の姿となって広がり、「曼荼羅(マンダラ)」という形になってあらわれました。
そこにはあらゆる存在が平等に、かつ個性を輝かせ安住しています。
何も欠けることがない、完全な、すべてが満ち足りた世界でした。
歓喜した菩薩たちは大日如来さまにお願いをしました。
「このすばらしい曼荼羅というものを、すべての人々に見せてあげてください」と。
そこで大日如来さまをはじめ、一切の如来さまたちは、
言葉だけによる説法ではなく、形をもった曼荼羅によって、
すべての命を悟りの世界に導くことにした・・・。
曼荼羅を見ただけでも、
今までの悪い行いは浄化されます。
もしも曼荼羅に入ることができれば、
ほとけの子として生まれ変わることができます。
もう二度と悪い世界に生まれ変わることがありません。
この「曼荼羅」という一切衆生いっさいしゅじょうへの
最高の贈り物を、見て、そして直接中に入って、
余すことなく味わう最高に尊い機会、
・・・それが「潅頂」なのです。
日切大師弘元寺 平成廿九年四月廿一日
《 来月までのお祈り》
5月3日 毘沙門天 20時 願望成就・智恵・繁栄
7日 水子地蔵さま 10時 水子・諸霊供養・護摩
21日 大師縁日の護摩 20時 写経奉納・月参り日
24日 地蔵護摩 10時 感謝の供養
三宝荒神 20時 家内安全・無事
30日 弁才天 護摩 20時 願望成就・良縁
《 ひとこと 》
・ひとりでも多くの方がしあわせになることを思うこと、願うこと。それが大切なこと。
そしてそれがあなたを本当にしあわせにすることになるんです。それが大切な道です。
宥善大先生かぞえ98才の言葉
《結縁灌頂に関する因縁説話》
・天和3(1683)年。
伊予国のある人は病死して地獄に堕ちたが、浄厳和尚建立の結縁灌頂に入壇していた功徳によって蘇生し、寿命増長した。
・元禄8(乙亥、1695)。
入壇の志を果たさず急死した武士に代わり、友が名代(身代わり)として入壇した功徳により、急死の武士が成仏できた。
・入壇の志を果たさず死去した人が、子どもの夢枕に立って名代入壇(身代わり・祖霊潅頂)を依頼した。名代入壇の功徳によって死者は仏の浄土に往生した。