先月のお約束ということで、このお経について話をしたいと思います。
このお経は、破滅のない人間の道を教えるもの、また家庭生活において欠かすことのできない教えがあると言われます。ただ昔のインドにおける生活習慣の中でのお話になりますので現代に照らし合わせて紹介したい所ですが、紙面の関係上主だった部分を取り上げ、紐解いてみたいと思います。
資産家の息子であるシンガーラは、お釈迦さま(ブッダ)に清らかに帰依する両親とは違い、信心もまったく無かったが、
父親の死の床に呼ばれ言われた、
「早朝に起きて六方を礼すべきだ」という言葉に従い、
父の死後、シンガーラは尊敬・尊重・敬愛・供養の為に早朝に起き、
沐浴し、衣服・髪を濡らしたまま、合掌し、
東、南、西、北、下、上と各方向の礼拝を続けていた。
ある時、彼のもとにブッダが訪れ、六方を礼する意味を教えた。
「シンガーラよ、よく聞いて、よく考えなさい。私は法を説きましょう」と。
・殺生、偸盗、邪淫、妄語の四つを自ら捨て去れば、聖なる者は悪しきカルマ(悪業)に汚されない。その行為が清らかであるが故に。
・欲と、怒りと、恐れと、愚かさの四つに突き動かされる(真実とは相反する)非道の道を歩まなければ、聖なる者は悪業を作らない。 他者からの讃美、評価は月の動きの如し、満ち欠けの少しずつ進むが様である。
結局、あなたがこのまま真実に刃向うのか、刃向うのを止めるのか、どうかであるのだ。
・賭博、お酒、装飾、乱暴、悪友に交わり、外出の時間も気にせず、あなたがすべきことをやらずに、だらしなく暮らして勝手気ままであること(怠惰)は自らの財を無くす道にして、それは破滅(消失)への道であることを知りなさい。またそれらには重ねて六つの危惧すべき難が備わっていることを知りなさい。
・以上、これらの悪事、悪しき習慣を離れて、
かつ六つの方向を大切に守る者は、この世のことも、死後の世界も、満たされるのである。身体が滅ぶと、死後には善道の(迷い・苦しみの原因となるものが少ない)天界に生まれ変わる。
・何かやろうとするごとに、何がどうだからできないなどと口実(言い訳)を作ってばかりの者には財など生じない。ただ消え失せるばかりである。
・聖なる仏弟子は、以上の点に気を付け、不善は捨て、悪しきを避け、真によき友人と親しみ、住まいを護り、家族を養い、法による生活をすることによって、この世と死後の世界において輝くのである。
(法とは善いものを生み出すもの。正しい縁起の見解・理解に基づく生きる倫理観であり、正しい法則。)
・さて、六方向をこのように考えて礼拝すべきである。
東は父・母として知られるべきである。
南は師匠・先生として知られるべきである。
西は妻・子として知られるべきである。《今月はこの項目のみ以下に紹介》
北は友人・知己として知られるべきである。
下は生活を支えてくれる人・部下として知られるべきである。
上は尊敬を集め、慕われるべく人として知られるべきである。
(例えば天皇陛下など。この意味はもろもろの徳によって上に留まっている人であるという意からである。敬意を表される者、また真実を求め修行している沙門。)
(東は一日が東の太陽から始まるように始まりの方角)
・夫は五つの理由をもって西方である妻に尽すべきである。それは
①誉めること(尊敬)によって。
②暴力や軽視のないことによって。
③不倫のないことによって。
④持っている思いを実行させてあげることによって(家の権利を任せる)。
⑤己の財、富に随って、装飾品などをプレゼントすることによって。
・夫に奉仕された妻はまた五つの理由をもって夫を愛し大切にするべきである。
①家族の健康を考えて食事を作り、適切に仕事を片付ける。
②身近な人のお世話を進んで行う。
③夫以外を心にも求めない。
④得られた財産を大切に扱う。
⑤あらゆる用事に巧みであり、勤勉であることによって。
《来月に続く》
日切大師弘元寺 平成廿九年二月廿一日
《 ひとこと 》
・今年は結縁潅頂が開かれます。「金剛界」「胎蔵界」と二つの曼荼羅に入ることができます。金剛・胎蔵、どう違うのかと言われると、智慧と慈悲、見る智慧と見られる智慧、創る世界と入っていく世界。入壇料はそれぞれ七千円になりますが、仏の世界に直接入るという、とてもありがたいものです。次回は3年後ぐらいになります。ご縁のある方は是非ご入壇ください。
《 できごと 》
〇節分に行われた星祭り結願護摩は、沢山の参詣者で本堂が溢れかえり、「福は内ー!」の声が響き渡った。
〇普門院(岡山県赤磐市)の柴灯護摩・火渡・大般若転読法要に行者さんと共に出仕。ありがたい法要となった。