「お墓はただ骨を入れる場所」としか考えていない人が多くいますが、
残念ながらそれは違います。しかしそれも仕方の無いこと。
誰もお墓、相続の意味、ご先祖祀りのことを教えてはくれません。
私の体は本来、「預かり物」です。
肉体の生命活動が止まったら、この身体(お骨)は自然界にお返しするのがいい。
空を飛び回るトンボや蝉のように、抜け出た殼はただ自然界に還元されていく。
お骨にその人はいない。
骨をただ埋めるのが墓ではない。ただお骨を祀るから墓になるのでもない。
先祖の魂を祀るから大きな意味が生まれるのであり、
そういった墓の概念と想像力が墓を
親・先祖、私たち、後に生きる子孫とが
「つながる」ことのできる場所へと舵取りするものとなる。
私たちは多くの先祖の命の上に立っていることを忘れた時に不安定になる。
「なぜ今ここに私が生きているのか」を知ることが生きる上で大きな力となり、
自己存在の真の価値は 過去(また先祖)をたどり、
あらゆる周囲と 自然界の恩恵に気付いた上に、
只いま一瞬の自分 (自由で解放されたこころ) を自覚するところにある。
「家を建てる前に墓を建てよ」は、
地相・家相・墓相学を心得る者のなかでは常識的で、
家相の話を聞きに来たのに、墓や先祖のことを訊ねられるのはこの事からである。
ここで詳しく説明しないが、特に分家初代になる家に対し、
「まず墓を準備しなさい」と言うのはこのことからだ。
また祭祀を相続した夫婦、子どもは、やはり墓のことを大切に考えるべきで、
めんどうだなとか、子が親をどうしてくれるか分からないからとか色々わけを言って、
何の準備も知識もないのは問題がある。
まずは一つでも知る所から始め、
自分は何代目になるのか、 親先祖はどのような特徴があるのか。
まずは墓を確認する。
戒名(法名)、亡くなられた日、何歳。
逆縁や水子。 仏壇にある位牌や過去帖を確認する。
檀那寺や本家に訊ねる。
また詳しくは市役所で 除籍謄本(じょせきとうほん) を申請するなどして、
正しく家系図を作るのが基本でしょう。
よく 先祖祀りは樹木でいうと土壌の根っこに例えられ(お墓)、
夫婦が木の幹(家、家庭)であり、
そうして子や孫が花や実、枝葉に例えられる。
「子孫の繁栄は墓(先祖祀り)にあり」と言われる所以(ゆえん)はこういった所にあり、
亡くなり姿形(すがた かたち)が見えなくとも、
私たちはこの世に生まれた時から
いつも親、先祖とつながっている。
本来先祖というのは子や孫が可愛い。
子孫である 私たちのしあわせ・繁栄を願っているもの。
「恩に生きる」という言葉が忘れさられてきた時代、
恩に生きる社会は平穏で豊かである。
しあわせが幸せを生むから。
まずは 親と先祖の恩 に改めて気付く時間を意識的に作るのもよいでしょう。
大先生が、
「死んだら無くなるんじゃあない。あの世に返り、戻るだけ。
まずそれを知ることが先祖祀りの基本となる」 とよく言ったものです。
自分の勝手な心をおさめ、日に日に感謝が極まれば、
一つの生命体として今を生きる自己存在の真の価値に気付く。
それは本来持っている自分の「とうとさ」に気付くものとなる。
心に余裕をもって生きましょう。
他者他人さまを供養するゆとりができる。
供養とは専門的には色々奥深いものがありますが、
施しや心配りが行き届いていることをいう。
お経や真言を唱えるだけでは不十分で、
まずあなたの「こころ」が大切になります。
あなたの心が落ち着く場所にいって、
意識を一周ぐるりと廻らしてみてください。
すると、なんとも言えない感謝の念が湧くものでしょう。
なんとも言えない感謝の心。
これを「供養のこころ」というのであって、
ただ墓に骨を入れ、お盆と正月にでも参れば供養になるのではない。
都合や損得勘定だけで親先祖を片付けてはなりません。
生命の相続を見直すと不思議な力が働くものです。
南無大師遍照金剛ありがとうございます
~来月の行事予定~
24日 地蔵菩薩、護摩 10時 新暦、地蔵盆にあわせて…
27日 弁才天、護摩 20時 良縁、人間関係、商売。
29日 三宝荒神 20時 荒ぶるものをおさめる、息災。
30日 瓜封じ・護摩 10時 諸病平癒のおまじない
キュウリを準備下さい。申し込みはお早めに
滝修行 朝5時お寺出発。5時半加茂セブンイレブン
8月3日 毘沙門天 20時 福徳智恵のご利益
6日 広島市内においてお施餓鬼供養(お寺早朝趣発)
7日 水子地蔵 10時 水子諸霊供養
9日 大黒天 23時 福徳、夫婦円満、商売繁盛。
15日 弁才天、護摩 20時
21日 万灯会 19時半 ご先祖さまのお盆後送り。
護摩を焚き、お写経の奉納、お施餓鬼、お札流し。
万灯会の申し込みは小500円。大千円。
27日 三宝荒神 20時 自身の心を静めてお祈りをします。
日切大師弘元寺 平成廿八年七月廿一日