法話

マンダラの世界へ

いつのメモなのか忘れましたが、不動明王のお祈りの方法を記したお次第に、
  落ち着く
  すべてゆるしていく
  すべて安心という座を得(その座に)
  腰を降ろす
  認めていく作業
  この「いま」だけを見つめる
と走り書きがありました。もちろん私が書いたものなのですが、
この言葉に皆さまは何を思われるでしょうか。大先生が、

「どう言うたら分かるんきゃあのう」とよく言われるように、
私も、どう表現をしたら仏教の教える「目覚め(さとり)」の一端を弘元寺にお参りされる
皆さまにお話できるか、また経験していただけるかなと考えます。

 先月のプリントにも書きましたが、十四年前、醍醐寺で修行していた時にも出逢った、
禅定に入る中で経験する無数の仏の世界、小さな気付き、直感的なメッセージでもあればやはりすぐにノートに書いたものでした。
世間で言う所の「神秘体験」も幾つもありました。ただ神秘体験と言っても密教の祈りとしては当然の体験でもあります。ただ私は普段はこういった話をあまりしないのは、
仏さまが現れる、光に包まれる、メッセージをいただく、こういった経験は、経験者に大きな気付き、衝撃や感動、清浄な信心、目覚めを与えますが、一方で神秘的な経験こそが絶対的な価値があることかのように勘違いしてしまう場合も多いからです。
難しいなぁと思う反面、しかし密教は仏の世界に入り、供養し、瑜伽相応することが修行方法でありますから、仏の浄土に入っていくこと、物を扱い、印真言をもって供養をささげること、相対する仏と一体になっていくことは、ごく当たり前のお祈りなわけです。

 曼荼羅というものをご存じでしょうか。あの仏さまがいっぱい描かれたものと言えば概ね正解です。マンダラの根本は密教経典をもとに描かれたもので、
特に大日如来を中心とした金剛界・胎蔵界(大悲胎蔵)の二つをいいます(両界曼荼羅)。
密教のお坊さんは、このマンダラに入っていく方法を師匠から教わり、修行の菩薩となって、覚りの境地を目指すわけです。すべてを説明はできませんが、
「秘密曼荼羅の五種」というのがあって、その基礎は、

「師より真言・印・修行法を伝授され、教えに従って修行し、瑜伽相応すれば、禅定の中において諸仏の海会(虚空いっぱいに遍満する仏ら)を見ることを得る。」というもの。
そしてそれには五つの段階があることを教えていて、

①が、右の経験を得る境地。しかしこれはまだ仏会をただ拝するのみに留まる位。
②が、師より教わった瑜伽が成就して、秘密壇(マンダラ)に入って順礼供養することを得るが、いまだ仏によって現に灌頂を受けることがない位・・・と言います。

潅頂とは諸仏の大慈悲、さとり、目覚めの智慧の水を頂に灌がれることですが、普通からしたらもう②の時点でどういったことか分からないかもしれませんが、まだ更に3、4、5と奧の境地に続くわけです。

 実際、こういった仏さまからの導き、教えというのは非常に重要です。
しかし、同じく重要なのは捉われの世界にある私たちはすぐ勘違いをしてしまうということ。
また大切な事もすぐに忘れてしまうといったことです。

 紙面の関係上、今日はここまでですが、冒頭に書いたことと共に、
お大師さまが体験された祈りの世界を少しでも知って、また興味をもっていただきたいなと思います。

合掌

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