お墓では何を拝めばいいですか? とよく聞かれます。
そうですね、とにかく迷ったら光明真言というものがいいですね。またこのご真言は覚えやすいのが特徴で、ちょっと音の抑揚があってリズミカル。子どもたちもすぐに真似をし始めます。
また先亡得脱(せんぼうとくだつ)の為には光明真言がいいと、やはり古くから言われます。
先に亡くなった先祖が仏の解脱(げだつ/涅槃ねはん)を得ることで、
ある儀軌(ぎき/仏を供養する方法を記したお経典)には、
死者のために、この真言を誦(じゅ)すること一遍(いっぺん)せば、
必ず無量寿如来(むりょうじゅにょらい/阿弥陀如来の別名)、
死者のために手を授(さず)けて極楽浄土に引導(いんどう)したまう。
といって、光明真言を一辺でも唱えれば、
阿弥陀さまが手を差し伸べてくださって、極楽浄土に連れて行ってくださると言います。
続いてそのお経には、
況や(いわんや/言うまでもなく) 七辺、もしくは二十一辺と唱える功徳は計り知れない。
墓所においては四十九辺唱えるのがよい。皆苦しみの地より解脱して仏の境地に入る。
また鳥や犬猫などの動物にも唱えれば、それらは畜生の業(ごう)より脱して、
次の世では人、また天の世界に生まれ変われる果報(かほう)を得る。
また孝子(こうし/孝行の子)あって父母の墓所を建立し、
そこに塔婆(とうば)を立て、梵字真言を書き供えれば、
死後に地獄などの悪い道に堕すことなく、極楽浄土に往生し、
生まれ変わりの輪廻から抜けだして、蓮花の宝座の上において成仏(仏と成る)する時、
眉間より白毫(びゃくごう)光明を放つ。故に名付けて光明真言という。
など、光明真言の功徳(くどく)は沢山あります。
また昨今は先祖代々の墓(代々墓)が流行っているわけですが、
昔も親の墓を建てるのは孝行の証でもあったようですね。
せめて塔婆ぐらいはお供えしたいものです。
先日、こんな話がありました。
自分が入るために、また息子や孫のために代々墓を建てました。
これで息子夫婦らにも迷惑をかけないし、苦労もさせなくてよくなった。
しかし、住職はゆっくりやさしく説明を始めます。
先の文を読んだ方も察しがつくでしょう。
これは子が親に対して孝行する機会というものを親がわざわざ取ってしまった状況なのですね。
「これで孫たちも苦労しなくなります」と言われれば、
大丈夫です、親先祖へ供養の心もない家はそんな永く続きません。
心配しなくてもその墓を見るものもすぐ無くなってしまうでしょう。
すこし厳しい物言いかもしれませんが、
「墓は骨を入れる場所」くらいにしか思っていない内は、だいたいすぐにその家も絶えます。
親先祖があって初めて私がいる。
墓(ここではお金のことですね。)の心配よりも先に、
その感謝供養の心を子や孫たちに教える。
これが親の子に対する本当の贈り物と言えるでしょう。
最近はテレビでもよくお墓の話がありますが、
どれも説明は形式ばかりで中身がありません。
生まれ変わり、生まれ変わりの私達に
善き果報を与える信仰、供養は きちんとお坊さんから教わるべきです。
また光明真言を唱えれば、ただ阿弥陀さまの浄土にいくだけでなく、
真言を聞いただけでも、
何度も何度も生まれ変わりする中で作った罪も滅し除かれる。
また嘘の罪も消える。
美人(端正形貌)にもなると説かれます。
もちろん隨求菩薩さまの御真言もおなじ功徳があります。
この凄い真言を若い子や、孫にも教えてあげてください。
初めは自分のためからでも、後には皆さんや先祖のための祈りへと変わっていくことでしょう。
~阿弥陀さまの念珠繰り お祈り次第を作成しました。
またみなさんとお唱えする機会ができると良いですね。
光明真言の功徳や、罪障懺悔の功徳を分かりやすい言葉で
説明しているお経本になっています。
家族、親族が集まって念珠繰りをなさるお宅には
阿弥陀さまの曼荼羅をお寺から運び、みんなで拝んでいます。
また機会があるといいですね。~