夢を見ました。
身を削ること、恐ることなかれ。
いま身を削らなければ、
やがてその部分は腐ってしまい、命を落とす致命傷ともなる。
もし喩え、そう神さま仏さまに言われ、教えられても
勇気が無い者は己の身を削ることがいつまでも恐ろしく、
例えこの身が腐ったとしても いつまでも身を切れない。
勇気を持て。
この身を削る 恐怖に怯えるな。
逃げるんじゃない、行動するんだ。
調子が悪いとか、言い訳を作るな。
大丈夫だ。身を削れ。
それはいずれ腐っていくものだ。それにしがみつくな。
早く削るのだ。先へ進め。
「早く起きろ。」
(そして拝みなさい、、、)
喉が痛くて、
もう少し休んだ方がいいか、悩んで考えていた私。
もう5分だけでも目を瞑(つむ)ってみるかな、とした中で、
きっと仏さま方から送られてきたメッセージ。
「早く起きなさい。」
・・・はい。すみません、、、。
惰眠を貪っても いいことは無い。
(心から)祈ることは自分を変えていく。
僧侶(仏教の徒)は目覚めることが一番の仕事。
ブッダ=仏とは「目覚めたもの」を指す言葉。
朝も目覚められ無いものが、どうしてさとりの目覚めをえられましょうか。
こうやって叱られながらも、
忠実に努力できる者が自分を変えることができ、
しあわせを掴んでいくのだ。
身を削ること(恐怖)を畏れることなかれ。
その しがみついているものは
あなた(きみ、おまえ)にとって、
やがてそれを原因として、
あなたを腐らせ、死へと追いやっていくものなのだ。
病で言えば癌といわれるようなものだ。(品が山ほどあって癌(という字)になる。)
身を削るを、 恐怖を、
畏れるな!
死にはしない。
むしろ、それを放っておくことの方が
やがて おまえを腐らせてしまう。
早く起きるんだ。
(そして祈りの修行をしなさい。)
(はやく仕事/学校に行きなさい。)
(自分の弱さを克服しなさい。)
(愛情をそそぐべき家族に向き合いなさい。)
恐怖に怯えるな、
恐怖を畏れるな、
その恐怖はただ己の心が作り上げたもの。
どうせ作り上げるならば、
仏に向かう道筋
心が嬉しいと感じる道筋を
作り上げていきたいものだ。そうでしょう。
-----------------------
真の祈りとは、
仏の願いとピタリと重なること。
あなたの動きが
あなたの言葉が
あなたの心が
(三界)過去も現在も未来も超えて、
欲望の世界も、
物質(現象)だけの世界も、
欲も現象も超えた高度な精神だけの世界も、
すべてを超え、そして包み込みながら、
仏の力(如来の加持力)に照らされて、
《それは怠惰も、不安や恐れも打ち砕く!》
真実の私の魂が、仏としての私の姿が、
まさにいま
浮かび上がることをいう。
お大師さまの
仏さまの
絶対救済の力に照らされて、
(真実者である)仏さまが心に抱く 《生きる喜び》に 溶けこんでいく。
それがまことに肝心な指標と言えます。
世界と共に(仏国土も、我々の欲の世界も共に)
あなたの一つの合掌によって
あなたの一つの言葉によって
あなたの一つの仏の心によって
真実に仏さまの喜びにふるえることであります。
大師と共に 仏と共に すべてと共に、
本質を伴う喜びにふるえること
それが大切なのです。