法話

神さま仏さまご先祖さまの違いはなにか

 先日、「誰にお願いをしてよくて、誰にお願いするのは間違いなのですか?」と質問がありました。
また「ご先祖さまと仏さまの違いが分からない。」という方が多いのでそのお話をします。

 刑事ドラマなんかでは亡くなった方のことを「仏さん」と呼ぶシーンがみられます。これは「仏になった人」という意味ではなくて「仏の世界に行った(帰られた)人」という意味で考えてください。
普通に考えても、死んですぐ真理に目覚められるなんてことはまずありません。
そもそも「仏」とは「真理に目覚めた者」のことを意味します。
 私たちが真理に目覚めるにはまず仏さま(仏法僧の三宝)に帰依をして、仏さまの真実を語る説法を聴かねばなりません。説法を聴いて、その仏さまの語られることを実践して初めてさとりの世界に歩みを進められるわけです。

 おばあちゃんなどがよく、
「お仏壇で仏さまに手を合わせて来なさい」と言うのはその言葉の通り、ご先祖様にではなく、
まず仏さまに心を向け、手を合わせるのが本当です。そしてこの時に、
「ご先祖さまと自分が同じ方向を向く」ことに気付いてほしいと思います。
ご先祖さまにとっても、私にとっても、仏さまというのは生きる死ぬの世界を越えた最高の導き手です。
肉体から離れたご先祖さまはよりよい来世に向かうために、
または人間世界で得た未だ残る不安を解消するために、
また仏の説法を聴ける境地(浄土)に、未だ行けていない場合にはもとより仏さまに救われんがために、または本当の「楽」を得るために、
仏さまのお救いを求め、仏さまのいる場所へ、また説法の聴ける場所を求められているのです。

葬式をしないとか、お坊さんが供養してくれないとか、現代はいろいろと例外もありますが、
お寺や仏壇で手を合わせる時に私たちは、
「ご先祖様と一緒に 仏さまに手を合わせているんだ」と感じるのが良いと思います。
また「ご先祖さまのご供養の為に」と思い、
お経や御真言、お題目などを唱える、念仏をする時には《功徳》が生じますから、
「どうぞ仏さま、この功徳を廻(めぐ)らせて、ご先祖さまにお届けてください」と言葉にし、念じるのがいいと思います。

 とらわれ、執着の世界に住む私たち(あの世に帰られたご先祖様も、肉体のある私たちも仏さまからみればみんな迷い子です)は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界(六道)をぐるぐると廻(まわ)っています。生まれ変わり、生まれ変わりしながら。
神さまであっても執着の世界に住んでいるならば、普遍の真理に立ち、さとられた仏さまからみれば同じ迷い子である訳です。

 西洋の神さまと、私たち日本の神さまの決定的な違いは、例えば現在の日本の神社にお祀りされている神さまというのは、そのほとんどが遠い昔の私たちのご先祖さまであることで、もちろん自然に宿る神さまもいらっしゃいますけれど、西洋のこの世を創造されたと認識される唯一絶対の神さまとは違います。また教えとしては契約をするのがポイントです。余談ですが、誓いを破ると呪われるなんてこともあります。
 対して古事記などの神話を読んでも日本の神さまは凄いところもあれば間違いもしてしまうし失敗もします。やることは人間と同じです。
日本の国を守り、子孫を見守るのが日本の神さまですから、生活のなかで失礼なことをすればバチは当たりますが、親の子が可愛いのと一緒。
「神明に誓う」ことはあっても西洋の神さまのように契約する必要はありません。
日本は自然の、恩恵を与え下さる神々に感謝し、また祖先の霊である神に感謝し、祭祀をもって一年一年を共に生活し学んできました。
 仏教の神さまというのは毘沙門天、エンマ天、弁才天とか、だいたい名に「天」が付きます。アシュラも天の部類ですが住む世界は六道のうち、修羅道の世界です。ちなみに六道の世界それぞれに楽しい世界(天)もあれば、戦いに明け暮れる(修羅)、欲望のままに生きる(畜生)、絶えぬ苦しみにあう(地獄)などあるわけです。

 神様、天、私たちもさとれば仏(ブッダ・覚者)となる。
要は仏教の教える、天、人、修羅という位置づけはさとり、心の段階のようなものです。

 天や神は、菩薩さまたちよりも私たちにとって目に見える願いをすぐに叶える力を持っていらっしゃいます。しかし、それがあなたにとって必ず正しい道とは限らないわけです。
よって道に迷った状態から救ってくださる仏教という教えが必要となってくる。また仏さまは願いを叶えてくれないのかというとそんな事はなくて、ありとあらゆる願いを叶えて下さる、誓いがある。
ご先祖さまは、というと神さまでも、覚った仏さまでもまだないので子孫の私たちを見守って下さってはいるけれど、例えばあちらの世界に行ってもいまだに迷ってしまっている場合には実際には子孫を助けるどころではないわけです。
そんな時は、特別に供養をさしあげるべきでしょうし、大先生はよく言われます。

「鬼神がはびこり世の中がくるう(乱れる)」。鬼神とは死者の霊魂です。

 ご先祖さまの供養をただの儀式と思わず、
よく修行されるお坊さんにしたがい、正しくよく供養に努めて欲しいものです。
懺悔、滅罪、供養があって、そしてお願い事が叶うものです。

写真は 柴燈護摩の後、お話しをする「方丈(住職)さん」

関連記事