体と心はつながっていて、どちらも大切。
そんな分かりきったことをお話ししようと思います。生きる限りつきまとう「からだの病気」、そして近年は「こころの病気」という言葉もよく取り沙汰されます。解決方法を提示するわけではありませんが、ちょっと意識をするだけであなたに変化が起こる、そんなお話しができればと思います。
こんな言葉の投げかけをされたことはありますか。
「自分のことを愛していますか?」
真剣に考えてみてください。あなたは「はい」と答えますか?「いいえ」と答えますか?
そして答えた後にすこし考えてみてください。 あなたはこの質問の答えを考える時に自分以外の誰かの顔や姿が浮かびましたか?どうでしょう。
①いろんな人にも愛されて、自分も自分のことを愛し大切にできている方はそのままどんどん自分も他人も大切にしてください。
②だれかに傷つけられたり、苦しめられているから自分を大切にできていないという方はそのだれかのことをちょっと今は考えない。あなた自身が本来もっているかがやき、尊さだけ、それはかならずあるものですから、それを意識してみてください。
③べつに何も思うことなく、手放しでとにかく自分を大切にできている方はより一層さまざまな自分をとりまく恩恵やご縁を感じ、意識して、また手放し状態で満たされていけると、もっともっと気持ちのよい方向へ導かれていくでしょう。
④べつに何も思うことなく、とにかく自分を愛せない、大切にできない方は状況が深刻であるかもしれない方と、ただあなたのすばらしさに気付いていないだけという方とあると思いますので、前者の方はイヤなことを今は考えない。うすうす原因のあることに気付いている方は必ずどこかに救われる道があることを信じます。そしてこれが大事で、自分は何かすごいもの(神さま仏さま)に救っていただける、導いてもらえる。これに気付くことです。そしてその信じる心がきよらかになればなるほど、あたたかい神仏にいだかれる。そういうものですから、いくら自分が罪深いもの、性根のわるいものでも有難い存在の神仏は救ってくれます。これを知って「ありがたい!」と言葉にするだけで神仏はかならずまた今よりもあなたに近づいて下さいます。
⑤また後者(気付いてないだけ)だと思う方は「さまざまな不思議」を思ってみてください。いま自分は何歳かな?(それはお母さんのおなかにいる時の月日もカウントされていますか?)いま自分の体重は何キロかな?(毎日食べるごはんは天の恵み、水、動物・植物のいのち、雨、土、川、木、虫に至るまで何一つかけてもあなたの命はありません) 身長は何センチかな?(生まれてこの方、一度も、誰からも何のお世話にもならずに大きくなれるように人間はできていません。たくさんの「有難い」によって今生きていられているから、あなたもおなじく有難い存在です。それに気付くだけであなたはより良い方向に成長(変化)していきます)
とにもかくにもあなたはなかなか奇跡的な、すごい存在。
「何か」がないといま生きていないし、「何か」があるから今生きているのです。
私はその「何か」がとても大切であるとおもいます。 つまりそれは今あなたが何をみつめて生きているのか。それが大切なポイントになってくるという意味です。
何をみつめているか。仏教では時にそれが執着(煩悩)というものになるかもしれないし、
それが切なる「願い」のたぐいであるならば誓願(ほとけの祈り)というものになるでしょう。
ほとけの祈りをもってください。あなたの見つめるものが、あなたにとって本当によいものであるならばそれはほとけの祈りとなります。そしてそれは誰しもが必ず心の内側に備えているものです。
しかしあなたの見つめるものが、あなたを苦しめるものであるならばそれは煩悩というもの。そうであるならば 煩悩を消したい!消し去りたい!! そう仏さまに願うべきでしょう。
その時、身体が痛まないのも大切です。身体が痛いと考えることも下向きになりがちです。
お釈迦さまも苦行によって強固な精神を極められた後に乳粥を飲まれて身心安楽な状態となって、さとりを開かれました。身体も心も大切に。
身心命、一大事にしていきましょう。
写真は先日の岡山県赤磐市「普門院」での焼八千枚護摩の行者さんです。