法話

生まれ変わる 自分の 命 をみつめて

一度しか無い人生。

世の中にはたくさんの命があるのに、私たちは人間という生きものになっています。
いのち あるものは、いっぱいあるのに、
魚、牛、ネコ、犬、トリ、虫でもありません。植物でもありません。
そんな中、私たちはこの肉体にいのちを宿らせ、今日この日を生きています。

 なぜ、虫ではなく、鳥でもなく、私はいま人間として生まれて来たのでしょうか。
それはまぎれもなく前世ぜんせに起因するでしょう。
前の世の因縁いんねんですね。

ある江戸時代の修行僧は、
「自分は前世でハマグリであった。だけれども樽桶たるおけに入れられて売られて行く道すがら、お坊さんのお経を聞いて、いま僧となっている。」と話しています。
貝から人間になるなんて大出世ですね。
また、人間から、人以外の動物に戻ることもごくまれにあるようです。

 さて、いま目に見えているもの、明日起こるであろうこと。すべて、
「原因となるもの」と「誘発するもの」によってなっています。
(因・直接原因 と 縁・間接原因)

「なぜこのような事が起こるの?」というのも原因が必ずありますし、
「この結果はどうなるのか」というのも因縁の結果というわけです。
スポーツで例えれば、練習もしないのに優勝をすることなどありえません。練習を一所懸命に努力すればその可能性がある。あとは競い合う相手との練習量。不思議な話と思うかもしれませんが、前世から一所懸命にやっていた場合なんかは、普通の努力以上の成果を出すなんてこともいっぱいあります。
なんとかの申し子みたいなやつだ、なんて言ったりしますが、あれはまさに前世からやっていたような場合がある。
 
 私たちは何の為に生まれて来たのでしょうか。原因はあります。
しかし、結果(答え)というものは自分が作っていくものです。

結果や、明日は、机にひじをついて妄想もうそうするものではありません。
一所懸命に想い描いて、努力して、つかむものです。
時間も、過去から現在、現在から未来へ流れているだけとは限りません。
未来から過去が引っ張られているという姿もあります。

いま一瞬の 「こころの思い」 「こころの姿」を大切にする必要があります。

いま一瞬を確かな智恵の眼で観察することが、現実をつくります。

たしかな「いま」の観察と、たしかな「さき」の完結させる想いが

夢を夢で終わらすこと無く、
たしかな現実を作り、完成させていきます。

「いまが楽しければいい」という考えも、
原因と結果があること(因縁の理(ことわり))を知っておいた方が良いでしょう。
「いま」は「未来」に直結している、ということです。
ただ楽しいだけでは、一生を過ごせません。

お経の中には、
「十善(じゅうぜん)の君(きみ)」と言って、
王者になるような人は 前世でそれなりの事をしているから なるのだと言います。
「いのちを大切にする、
 人のもの盗みをしない、
 ウソ、悪口を言わない」
などの十善戒じゅうぜんかいのことを言います。

つまり、その善い行いの果報かほうによって、次のでは自然とそのような者になるのだと。

とくむ」とは大切なことなのです。

「動物をいじめると、来世でその動物になり、同じようなむくいを受ける」とよく言われるのも同じことです。
まず、日常生活で気をつけることは、
食事でいのちを頂いているのですから、食事の際は特に大きく感謝をすることから始めましょう。

また、お寺で十善戒じゅうぜんかいなどを授かる
受戒じゅかい」の儀式ぎしきをしてもらうと良いでしょう。
これを授かれば、何度生まれ変わっても ずっとその功徳が続くといわれます。
身の垢を落とすお風呂のようなものですから、
一度授かっていても、何度も授けていただくと良いですよ。

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