法話

覚悟をもって生きる。~勉強、仕事、家庭、人生~

人の心は移ろいやすい。一晩経てば、昨日考えたこと、思ったことも忘れてしまう。
あの決意はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
そんなことがある方へ。

 仏教のお坊さんから、ぜひともお勧めしたいのが、「覚り」をもって生きることです。

お釈迦さまや修行者のように真理に目覚めるなんて難しいものでは無く、
役目や役職を果たすのに必要な「自覚」を持つことの重要性、
これを一緒にあらためて考えたいと思います。

 勉強をするのだって、自覚をもっていればその効率は何倍も上がる。

「私は××が苦手だ」。
これを正しく理解していれば、明確な対策が分かる。苦手を克服するなんて早いもの。
あとは努力をするかしないかの違いだけ。
結果が早いか遅いかよりも、最後までやり遂げられるかどうかの方が重要です。
もちろん、○月○日までに結果を出すという目標設定が必要なのは言うまでもありませんが、努力もしない、続けることもしない、それでは何も生まれません。

先ずは、いま何をしなければならないのか、いま私の現状はどうなのか、そのありのままの自分の姿を明確にする。正しく知っておくことです。

くもった眼や、自分色に染まった眼で観てはいけないのはもちろん当たり前のこと。
知り了(お)われば、覚りを開いちゃった状態な訳で、そうなればあなたも仏さまと同然です。

 現代人の自覚の欠如について、特に顕著であると思うのは、
「私は○×会社の社員だ」。「私は高橋家の長男だ」。「私は佐藤一郎の妻だ」。

もちろん名字は適当なものですが、非常に大切なことなのに、意外と気にもさえ出来ていない人が多いと思います。一度、自分の名字など入れて口にして貰いたいと思います。
「私は△家の□□だ」。 その次の、「私は佐藤一郎の☆だ」、
☆の部分を妻や夫、息子や娘、父親や母親、祖父や祖母などに入れ替えて声に出してみると良いです。
きっと必ず、新しい気付きが有ると思います。

 いずれもね、人間みんな自分勝手だから、
見ているだけならば色々あるから、世の中おもしろいのですが、
大変なことに巻き込まれたり、当事者になった時には楽しくなんかありません。大変です。
自分勝手じゃいけないし、私(自分)という存在がいま、まさに、どこに、立っているのか、存在しているのか。それを、よくよく自分自身で理解しておかなければならない。
こればかりは全部が全部、他人が教えてくれるようなものでは無いですから。
テレビばかり観ている、携帯ばかりつついてるんじゃ駄目なんです。そして、「自分は」を先行させて考えてはいけません。
「私は○×会社の社員であり、私はこうであろうとしています」。これが逆だと大変です。
私はこうしたいが先行していて、会社の事情を無視した状態です。

家も同じです。
「私は高橋家の長男であり、俳優を目指しています」。下は自分の環境に置き換えて考えて下さい。
どうでしょうか。
上が無いと将来あなたは本当に落ち着く家、あたたかい家庭、人生を築けないのでは無いでしょうか。
産まれた環境を無視してしまったら、土台も根っこも地をつかんでいない、うすっぺらなしあわせになりがちです。「受け入れる」は智恵の要ることです。

仏教は仏の智恵を教えています。 
「私は佐藤□□の妻(夫・息子・父親)だ」。
人との出会いは必ず、縁があってのこと。
ましてや家族は過去世においても深いつながりがあるもの。

必ず意味がある。

心を穏やかにおさめて、相手を観なければなりません。
意味、メッセージに気付けないことほど不幸なことはありません。

夫婦は魂の伴侶です。 友人は魂の鏡です。

 「確かなこと」にきづく。 これが《さとり》です。
 一生懸命になれる。 これが心に「決意」を持つことです。
 決意とは「覚悟」です。

 それはいま自分が真実にどのようであるのか知ることから始まります。

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