法話

しあわせとは、つまり、許せるかどうかから始まる

自信を持って生きよう。だってお大師さまに守られているのだからと信じて。
この仏さまに守られているのだからと信じて。
自分も、ご先祖さまも、結局仏さまにつながっています。
「仏さま」そのままを 拝んで、
その中に自分とご先祖さまを観るのです。

お大師さまの教えをもって修行している人は、自分の内、心の内、魂の内に仏さまが宿っていること知っています。
修行を積んでいるお坊さんは、仏さまそのものになって祈りをささげています。皆さんも、同じく仏さまそのものになりましょう。
そんなの、なれるはずがない!と思う人はそうでしょう。絶対になれません。

同じ事に気付きましょう。不幸な人は、私はダメだと信じている。
私はとってもしあわせと言う人は、善良な事を信じている。
何を信じるかで人生は決まっている。どう信じるかで人生は、すでに、そこで、決まっているのです。
だって今思っていることが未来になるのですから。

あなたはどんな未来を思っていますか?という質問は、
あなたはいま何を思っていますか?と同じです。
希望する未来を、今。今。今。今・・・と思っていたら、その希望する未来に到達する。
だから「心がけ」っていうのは大事なのです。「いまの心がけ」。
そして良いものを信じることです。それもとびっきりの上等なやつを。

とびっきりになれるのが、お大師さまの教えです。許せる智恵、感動できる心。
なれます。なかなかすぐになれないのは「業(ごう)」ってやつが邪魔をしているからです。
無限の仏さまの存在は信じず、限りのある自分だけを信じているからです。
仏も人も、すべての命も、同じ所に行き着くというのに。
それなのにダメな事だけを信じて、良い方は信じない。
一枚の紙にさえ、裏と表があるのだから、自分に良いところと悪いところがあるのは当たり前。
その上でどちらを信じているか、そこからです。できない人は反省をしなさい。人に喜んでお仕えしなさい。お仕えする喜びに気付きなさい。

そしてとびっきりの目標をかかげて、反省と共に 「明るく歩むこと」 です。
とびっきりの仏さまになる、そう思って、楽しく、一所懸命に。

洗い流されたら、本当の自分が見えます。そこには想像できない喜びがあります。
心の乾いてしまった人は是非どうぞ。
必ず感動に震える、自分の心が、みんなある。だって持っているはずでしょう?
心も見えないけれど、みんな持っています。
みんなどこかに、心に触れる琴線があるのです。
一所懸命になれるか、信じられるか、それだけです。
でも心を預けられるような存在がいない。
だからこそ完全無欠のやさしいやさしい仏さまがこの世に存在してくださっているのですよ。
ずっと暗闇でうずまっている心があるなら、出してあげましょうよ。
あぁ、やっと朝の太陽にであった。そんな瞬間っていうのは、心が震えるのではないでしょうか...

 日切大師弘元寺 平成廿四年十月廿一日 南無大師遍照金剛ありがとうございます

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