智恵とは何かを知りましょう。
「気づける」ことは、つまり「苦しみを取り除ける」ということです。
では智恵とは何でしょう。
智恵は迷うことがない
智恵は仏さまの心(澄み切った心)をもって生きられること
智恵は節度を知って生きられること
智恵は物事の本質、核心を観察できること
智恵は自分だけの世界に固執しないようになったところ
智恵はさとりそのもの。
智恵は認められる力
智恵は許せる力
智恵は勇気が(勇者で)ある
智恵は何事も受け入れられる
智恵は精進(たゆまぬ力)がある
智恵は善悪の判断がつく
智恵は善い悪いなどの比較領域を越えている
智恵は前後の問題、関係を見通せる
智恵は因果、縁起を説ける
智恵は疑いが無い
智恵はすべての命のことを想える
智恵は大いに笑える 大いに悲しめる
智恵は大いに喜べる
智恵は大いに怒れる
智恵は大いに耐えられる
智恵は大いに施せる
智恵は無駄な執着が無い
智恵はすべてのものを生かせられる
智恵は自分の本心を明かせる
智恵は生滅の理(ことわり)を説ける
智恵は自身と真理と他者との一致である
智恵は反省することができるetc…..
さて、「智」と「慧」は仏教語として分けて考える事ができます。
「智」は真理そのものを知る所をいい、
「慧」は小さな欲や煩悩から離れ、清まりきった心の作用。
順序をつければ、
清らかな心をもって道理を得る「慧」をまず体得し、
その「慧」をもって世間的な道理を越えた真理、つまり「智」に行き着く。
また、その逆のパターンもあることでしょう…。
では漢字の語源から見るとどうでしょう。
「慧」はどのような意味を持っているか。
小難しいのかなと思いきや、意外にもおもしろい意味を持っているようです。
「慧」を上中下の三つに分解して説明すれば、
上部は「ほうき」、中部は「手」を象徴し、下部は「心」ですね。
つまり智慧の慧は「掃き浄められた心」を表わしているようです。
ですから、こう考えてみてはいかがでしょう。
己の努力によって心の塵を払い浄め、世の中の道理に目覚める。
これが「慧」を体得する道と言えるでしょう。
家(生活空間)と同じです。まず一番に「心を掃除すること」が重要なのです。
さて、
最初に羅列した智慧はすべて仏の徳の一部分です。
すべての仏はそれぞれ、様々な特色ある智慧を持っています。
ですからお坊さんは修行して、様々な仏の智慧を自心の鏡に映し出し、智慧を体得していきます。
しかしそれは特別なことではありません。
皆さんも時々していると思います。
手を合わせる動作です。
その基本の動き、しぐさ、それだけでも仏さまの修行になっているのです。
右手は仏、左手は自分、と手を合わせる。
いつも
仏さまと清々しい呼吸を合わせているのが合掌です。
現代を生きながら、
苦しみが多き皆さまには言わせて下さい。
こころを掃除する術を覚えてみませんか?
とても大事なことです。
晴れやかで、澄みわたった こころをもって
自分の核心に出会ってみる。
気持ちいいですよ。
そこにあるのは、それだけです。
そして、その目をもって社会をみて下さい
。
今まで気付けなかったものが見えてくるはずです。
ゴミだらけの心の部屋、
まずは窓を開けて、
太陽の光を入れ、
ゆっくりと ほうきをを手に取ってください。