法話

祈る

繁栄とご多幸を心からお祈り申し上げます。手紙にはこのような文句を必ずと言ってよい程書くものです。でもそのような事、ちょっと心に思うだけで実際に手を合わせてお祈りをする方は少ないでしょう。
心あるならば仏さまの前で手を合わせるように数秒でもお祈りをささげたいものです。
正和院代さんが出す手紙は文面の如くお祈りが込められています。
朝のお祈りの際にお大師さまの前にそなえたり、書き終えた後にお祈りを込め、投函されています。
言葉や思いだけで無く実際にお祈りをささげる。
手紙を送る時には本当に手を合わせ、ちょっとでもお祈りをして相手の幸せを願うことができる習慣を身につけたいものです。

 さて、ちょっと難しくなるかもしれませんが真言宗の大事なお経典である『大日経』には「三力(さんりき)」というものが説かれます。お経の時に「以我功徳力(いがくどくりき)~」と唱えたりしますよね。
これは大事なことを言っています。書き下して紹介すると、
「我が功徳力(くどくりき)と如来の加持力(かじりき)を以て
及び法界力(ほうかいりき)を以て普(あまね)く供養に住す」、

又、「我が功徳力と如来の加持力、及び法界力を以て衆生界に周遍す」と言います。

 つまり真言宗では「三つの力」というもの重要性を説いています。
その三つとは、
①「我功徳力」  自分が修行(念珠を繰り真言を唱える)をした時に生まれてくる功徳力。
②「如来加持力」  如来の力とは、仏さまから常に生じているもので、すべての存在に対する慈悲の心より顕れてくる不思議な力。加持力となってくると、それは行者と如来が身も口も意(心)も相応して顕れてくる力。もっと分かりやすく言えば仏さまの力を行者が素直に自分の心の鏡に映し出した時に顕れてくる力です。
③「法界力」  世界の真理そのもの、大宇宙よりくる真理への導き、自分の内に本よりある真理そのもの(仏性)の力ですが、つまりこの法界力とは始めの二つの力が融通無碍(ゆうづうむげ)になった状態で現れてくる力です。
順序だって説明すれば、
 先ず念珠を繰り真言を唱えることによって生まれてくる功徳の力によって、自身は清まり、清浄なさとりの心が現われる。そうすれば仏の心そのものを自分の魂の本質に鏡の如く映せるような状態になってくる。そして自身の本質に仏の核心が映し出され、つまりは如来の加持力が顕れた状態となってくる。
そうすると自分も仏も一つになり、広く大きな限りの無い真如の世界、大日如来そのものの世界と変わらなくなっていく。つまり私と仏が一体になって法界に及び、異ならない状態になっていく訳です。

 大日如来となるという事は法界(大宇宙/マンダラ世界)と異ならないものになるという事です。
この身のまま成仏し、普く一切に供養をする境地を目指すのが真言宗の教え。
自分だけに留まらず自他諸共(じたもろとも)にあり、幸せになろうというのがお大師さまの教えです。
お大師さまを「遍照金剛」といいますが、実は大日如来も遍照金剛、遍照如来というのです。
つまりお大師さまを信じることは大日如来になるということです。
すべての仏はこの大日如来より生まれ、すべての仏の働きも大日如来の徳が現れたものです。
一切を抱かれる遍照金剛さまといつでも一緒、一つの命と思い、自他諸共にしあわせであることを願う。
これが真言宗のお祈りの在り方の一つに思います。
お互いを思い合える日常、相互供養(そうごくよう)がいいものです。

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