法話

働かせる心と動かされる心

 柴燈護摩も今年で6回目となり、皆様にとっても恒例行事となってきたようです。
思い起こせば現在のお堂の落慶に伴い、
日輪大師(にちりんだいし)さまの奥に御祀りする秘仏の大師様を拝したのが7年前。
皆様の眼、そして心に、その御姿が今も宿っているでしょうか。

 ある方が職場で腹が立つことが多すぎて多すぎて、どうにか堪えているのですが
どうしたら気持ちを落ち着かす事ができるでしょうかと相談されました。
さて、自分の気持ちはどこから沸き上がってくるのでしょうか。
感情というのは自然と沸き上がってくるもので、考えて起こすのは判断です。
しかしながら感情というのも日々の自分が積み上げた経験、価値観の結果から生じるものです。
僧侶の修行においては心のコントロールはとても重要な課題です。
先日、縁あって座禅会に参加したのですが、
泉の如く沸き上がり働く心を寂静とする事は鍛練のいることです。
心を寂静にする修行をすれば、日々どれだけ「心に動かされて」生きているのか
、または「心を働かせて」生きているのかがよく分かります。
自らの心を深く見つめ、コントロールする修行をすれば、
小さな事に動揺したり、腹を立てることも少なくなりますし、
目標に向かって伸び伸びと進む事ができます。

 さて、自分に降り懸かる苦難や腹の立つこと、それらはすべて縁あって起こるものです。
そして苦難は自分をより成長させ、幸福とするものであり、腹立つという事も自分の未熟さを知るよい機会です。
ですから、苦難というものは立ち向かって然るべきものです。
体調を崩すほど無理をしては駄目ですが、例えば大海のようにありましょう。
大海は荒波、塵もすべて受け入れます。
また嵐の時は嵐のように、晴天の時は晴天のように平然とあります。
問題が起ったり腹立つ事があれば感情的になりがちで、正しい判断を出来なくさせます。
一度自分を捨て、こだわり、意地、小さな自尊心を捨て、向かい合ってみてはどうでしょうか。
深呼吸し、大空、大海を望めば一生はあっという間です。
その問題、つまらない事ではないでしょうが、小さな事と思い、
一日一日と、気を取り直して日々向かうことが得策であり、また賢い人間であると思います。

 心を靜かに止める事、つまりコントロールする事ができれば、集中力も付き、
「無限の可能性を秘めた心」を大きく働かす事もできます。
私はよく、真ん丸なお月様を観じ想っては心をそのものにする練習をします。
また月が太陽に照らされ輝くように、同じく私を照らし輝かせる大きな力、
仏様を観じては、今はただただ頭を下げる思いを馳せるばかりです。

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