修行道場には花菖蒲(はなしょうぶ)がすっと立ち並び、本堂やお地蔵様の辺りには紫陽花(あじさい)が咲き始めています。夏至です。八千枚護摩の修行も三ヶ月が経ちました。まだ寒い時期、水をかぶっては霜焼(しもや)けができ、桜が咲き、新緑に盛(さか)り、野いちごが山を飾(かざ)り、もういつの間にか、夏の雲が空に浮かんでいます。朝のお勤めが終われば俊式阿闍梨が「今日も一日頑張りましょう」と声を上げています。
6月に入ってから、お米、麦、豆などの穀物を断ち、塩も基本的に入れず、食事を頂いています。醤油は大豆からできますし、調味料なんてものもありません。自然の味を自然のまま頂く。だから野菜の味もよく分かるし、塩がちょっとでも入っていればすぐ分かる。何故そんな事が分かるのかというと、そりゃ美味しい事に気付くからです(笑)。昆布でダシを取ればその昆布に付いた塩分がよく利(き)いている。毎日皆さまから野菜や色んな物を頂いております。よく味が分かります。キュウリ、ニンジン、カボチャやキャベツ、お芋に果物。やはり自然の恵みを受けて育ったものは美味しいです。現代の生活に慣れてしまった方々、是非一度身心共に美しくして、本物の味を舌に入れて実感して頂きたい。このように修行していると、本当に些細(ささい)な事にも気付くようになるものです。
八年前、修行していた時の感覚を思い出します。すべての生き物に(石ころや木々、風にも)命をかんじますし、仏の息吹(いぶき)をかんじます。目に映るもの、感じるもの、すべてがよく活動しています。今月の初めにも兵庫県から来られたある若い女性の方が修行として、掃除をしたり、礼拝(らいはい)、真言を唱えたりして三日間を過ごしました。二日目には礼拝が嫌になっていましたが、俊式阿闍梨からお話しをしてもらい(泰教は無言行でした)、
最後の日には
「私の中にも仏さまがいることに気付かせて頂きました。ありがとうございます。」と、お写経の最後を締めくくっていました。
すべては自分の心次第であるのだと本当に気付きましたと実体験をもって知ることが出来たようです。それは例えば、感謝の念をもってやるのと、嫌々やるのと、同じ行動をしていても大きく差が開きます。行動は同じ。ただちょっと心持ちが違うだけ。例えば朝からちょっと嫌なことがあって、一日を、また数日をその小さな事が原因で、曇(くも)った心で過ごすとしましょう。誰が損をしていますか?また誰かを悲しませてはいませんか?
雨が降って、畑が育つと喜ぶ人と、傘がいるし服も濡れると厭(いと)う人、同じ事にも、それを受け取る者は心と環境によって多種多様です。自分は何を選択すべきか。また自分のお役目は何なのか。
いまの一瞬、自分の今世(こんせ)の一生、自分のお役目を知ること、見つけること、大切な事に気付くこと、とても大事なことです。それには体を養い、心を養わなければ(目も、耳も、鼻も、頭、知識、教養も)なりません。
信仰する事を軽視し、宗教を知識が無い故に誤解し、心のなんとやらも知らずに生きている者が多い世の中、日本は憂(うれ)いに溢(あふ)れています。命を大事にしましょう。
他人を大切にできれば自分も大切にできる。自分を本当に大事に出来れば他人も本当に大事にできる。
仏教はすべての生き物を救おうとしている。正しき祈り、知恵と、努力と、行動によって。仏さま神さまご先祖さま方は、欠けていれば足して下さる。過ぎたるならば気付かせて下さる。
手を合わせていれば、必ずです。ただ、最後に行動するのは、選択するのは自分自身です。間違わぬよう、一度間違えれば二度間違えぬよう、弛(たゆ)むことなく私は手を合わせていようと思う。さて今日の修行道場の静けさ、仏さまがありありと、現れておりました。
合掌